コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

伊豆へ

2024-07-07 | life

若き日の淡き想ひ出辿り行く伊豆の下田の夏の陽眩し 筆者拙詠 下田街道にて

忘れぬうちにupしておこう。

6月初旬 伊豆に行ってきた。熱海に1泊、次いで下田に1泊であった。伊豆行きは10年ぶり。前回は畏友鈴木さんのワークショップに伊豆稲取 (クリックOK)へ行って以来である。

北陸新幹線が敦賀まで延伸したのでまずは新幹線で敦賀へ。「越前たけふ」駅より「つるぎ」に乗車。一駅12分あっと言う間に敦賀着。実は「越前たけふ」駅には無料の駐車場がある。この駅は新幹線のための新設駅で市街地から離れた山側にあり、北陸道の「武生IC」からほんの数分で目と鼻の先である。私宅から北陸道「丸岡IC」も5分とかからない。高速道所要時間20分。

さて、敦賀から特急「しらさぎ」で米原へ。鉄道系ユーチューブ等でも悪評高い敦賀乗り換えである。延伸前は「しらさぎ」は金沢から米原或いは名古屋へ直通だった。所要時間は僅かの短縮で乗車券はぐんと高くなり敦賀止まり。関西や中京方面の往来は不便以外の何ものでもない。

取り敢えずは往路(乗車券のみ往復)の切符でこの枚数。勿論それは私の好きな列車に乗りたいこともあるのだが。北陸新幹線は東京直行ならば早くて便利だが米原経由での東海道沿線駅へは不便になった。

私は所謂ツアー等の団体旅行は性に合わない。自ら行きたいところへ行く。それは「旅」だから。行程を調べて切符を買う。のんびりと車窓から沿線の風景を眺めるのは格別。パソコンもスマホも無かった頃は毎年全国版の列車時間表や旅雑誌を買って楽しんでいた。仕事の講演でも前泊・後泊しながら旅した。

生来人と群れるのは好きではない。勿論、これまで数多くの集団のリーダーを務め、多くの人間関係の中でそれをこなしてきたつもり。なので第一線を退いた今は自分ファーストでと思っている。

ツアーは宿は勿論、行程など全てお任せなので楽で便利だが、団体旅行なんては高校の修学旅行で十分。何事も自分で考え判断、行動することを旨としている。それはまたボケ防止にもなる。人間、頭は使わないとダメになるばかりだ。

ひとり旅だからこそ自分自身、人生についてマジ向き合えるのが醍醐味である。旅には三つの楽しみがあると言われる。
行く前の計画や準備。
次いで旅・道中そのもの。
そして帰ってからの旅の思い出 である。

久々の熱海だ。到着時間帯にホテルからのお迎えの車が待っている。ネットで一番口コミの良いホテルを選んだ。お部屋から相模湾を一望。

静かに夜の帳が下りる。港の町の灯が旅情を唆る。お部屋からベランダへ出ると海を渡ってくる夜風が快い。床に就くのが惜しいようなひととき。明日はこの旅の本命下田に向かう。 今宵これにて。


米沢豊穂 近況・心境 

2024-05-08 | life

 季節はもうすっかり春。昨晩秋の銀杏の枯れ葉が舞う並木道も眩いばかりの新緑となり、空は青く白い雲が行く。(画像は福井県あわら市)

待ち侘びた春の筈なのだが何かと慌ただしく時は過ぎてゆく。福井は新幹線フイバーだが、それに乗って行くところもない私。コロナも落ち着いたので久々に愛車を駆って琵琶湖やメタセコイア並木に会いたいと思っているこの頃。

 あののカウンセリング学習会は小人数ながら和気藹々と。今年度は一度原点に還ろうとロジャーズ全集を繙きながらその神髄に迫る。

カール・ロジャーズ博士のカウンセリング場面のビデオも視聴。皆さん、異口同音に「ロジャーズって凄い」、「さすが」と感嘆することしきり。

 

 ロジャーズ理論を身をもっての迫力!

まずは相手に対して真実・リアルである。つまり隠し事なく透明であること。

次に相手をひとりの人間として尊重し無条件で受け入れる。

そして更には相手の内的な世界を共に理解する努力。 

                                              これらのことは拙著で縷々述べてきた。

今年度も福祉をはじめ各分野の研修に招かれている。私自身も今一度原点回帰。拙著を読み返してみて、初出版以来年月を経たとはいえその内容は今なお色褪せてはいないと自負している。これぞ自画自賛。

 

                                              大手の社会福祉法人さんの職員研修を仰せつかってかれこれ30年余、その原点
とも言うべきはロジャーズ・カウンセリングと、この1冊「福祉の思想」糸賀一雄先生の名著である。                                                                           私をして言わしむれば「本書を読まずして福祉や教育を語るなかれ」と。

それでは今宵これにて。ごきげんよう。

 


如月のことども 2 お涅槃に寄せて

2024-02-16 | life

四弘誓願

衆生無辺誓願度 (しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無数誓願断 (ぼんのうむしゅせいがんだん)
法門無尽誓願学 (ほうもんむじんせいがんがく)
仏道無上誓願成 (ぶつどうむじょうせいがんじょう)

2月15日はお涅槃でした。ひとりで涅槃会を勤めました。もし、 お釈迦様が世にお出まし無かりせば、私たちは仏教に出遇うことはありませんでした。仏教徒でしたら、今日の日は釈尊80年のご生涯に思いをいたしたいものです。

まずは四弘誓願を独唱?しました。これは仏教徒の誓いなんですが、私はお釈迦様のお誓い・発願だと思っております。形ばかり、お坊さんの資格のある私ごときには果てしなき道のりです。

ふつうはご法事などの最後にお唱えします。でも、私はこの願文と厳かな曲が好きなので一番最初にしました。特に今日は私ひとりなので音楽礼拝にしました。いつもは漢字ばかりのお経を読むのですが、今日は全てをお歌で歌いました。とても気分がやわらかく清々しいひと時でした。

たくさんの仏讃歌がありますが、お涅槃にはやはりこのお歌です。お涅槃に相応しく心に沁みて涙が頬を伝いました。

泥洹思慕 (ないおんしぼ)と読みます。

如月の夕間暮れ 木々に鳴る風 落ちて黒々と 物皆に悲しびはあふれたり

南無釈迦牟尼仏 みほとけよわれらまた この森に集いたり 

こたびこそ涙なく経を誦しまいらせん ああ、かくて阿羅漢よ

三千年を経てぞなお みほとけは滅度なく 常しえに説きたもう

泥洹とはサンスクリット語のニルヴァーナ(nirvāṇa)の音写です。涅槃と同じ意味です。悟りを得た、知恵が完成した、煩悩が消え去った状態等を言いますが、一般にはお釈迦様の入滅(亡くなられたこと)を指します。

釈尊最後のご説法はあの「自灯明・法灯明」の教えでしたね。自らを灯明とし、自らをより処とし、他のものをより処としない。法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処としない。ということです。勿論、自らを支えているのは仏法である訳ですね。

仏縁に繋がる方々との交信に感謝申して今宵これにて。釈豊照こと 米沢豊穂


春は金沢 ボクの金沢日記

2023-04-15 | life

「春はあけぼの」じゃないが私には「春は金沢」である。この30年間春一番の講演はずっと金沢であった。

無事講演を終えて束の間の金ぶらである。コロナ以来なるべく電車やバスなど公共交通機関は使わない。ましてや金沢までは愛車で北陸道を走って小1時間。途中のSAでの休憩を入れてもだ。ナビは刻々と到着時間を知らせてくれるので、それに合わせてスピードや休憩タイムを調整出来るので便利だ。

長く厳しい北陸の冬が過ぎ、ようやく春の訪れがうれしい。少し肌寒い感じだがしばしぶらりしてきた。勿論人混みは極力避けて。中心部に近いのだが一筋奥へ入ると3丁目の夕日的な雰囲気の通りだ。すぐ目についたのが古書店。生来の本好きの私は吸いこまれて行く。

つづいてこんな町屋に遭遇する。歩かなければまずは発見出来ないロケーションである。

本通りを少し歩いてみると、さすが加賀様百万石である。内外の観光の人々が。

巻き込まれるとコワいから、この辺りで🅿へ戻り、北陸道金沢西ICへ。金沢滞在3時間ちょっと。こんなに短時間は珍しい。実はスケジュールがぎっしり。帰ってからせねばならないことが山積。まだまだ当に「生涯現役」のyo-サン。

なので、ブログの更新は元より拝見もままなりませぬ。どうぞご寛容にお願い致します。

ボクの金沢日記でした。今宵これにて。


諸人よ思い知れかし・・・

2023-01-12 | life

        

 三十年を 経ても忘れず送りきし 美しき花 我が誕生日

 

 6日の朝、家の電話の着信メロデイが。

 まさか と。昨年丁寧に、来年からはご辞退 の旨伝えたので、お花屋さんからではないだろう・・・と。

 ところが、まさかだった。

 「ミス・フラワーです。お花をお届けに参ります」と。しばし絶句だったが「有難うございます」と応えた。

・・・・・それでも、贈って下さるのだから、素直に頂戴するのが心だろうと決断した。贈り主のお心に感謝を込めてすぐお礼状を認めた。

 これまで1度や2度、或いは2年や3年ぐらい同じ方からお花やプレゼントを頂くことはあったが、30年余となるのはこの方のみである。並のことではない。まっこと忝い限りである。

 亡き母がいつも言っていた。「恩は石に刻み、恨みは水に流せ」と。贈り主は身をもってそれを実践してくれたのだ。私もまた石に・心に刻みたい。

 母はまた、私の生まれた日は大雪だったと。仏壇に手を合わせながら、噛みしめていたのは、

 諸人よ思い知れかし己が身の誕生の日は母苦難の日(詠人不知)であった。

 誕生日 母の遺影に水仙を 供えてひとり 経を読むかな 

 母を偲び、釈尊とその母・麻耶夫人を想う睦月の夜半である。

                            今宵これにて。

⭐お寄せ頂いておりますご要望・ご質問につきましては、個人様に回答させて頂いておりますが、内容によりましては次回に本欄に記させて頂きます。

⭐拙ブログは只今コメントを受け取らない設定にしてあります。現在、なかなかブログの更新やチェックする時間が取れずにおります。私へのご連絡は本ページ左側(プロフィール欄の上)のメッセージを送るよりお願い致します。


世の中安穏なれ仏法弘まれ

2023-01-04 | life

あのの・・・暮れから元旦へ yo-サンの近況・心境です

元旦や今日の命に遇ふ不思議

 今は昔、福井の東別院さんでお話をさせて頂きました。その翌年の元旦に、当時のご輪番(東本願寺の福井教務所長)様から頂いたお年賀状に、この一句が添えられていました。以来、毎年元旦には深く・深く味わさせて頂いております。誠に有難く、ただただお念仏申すのみです。不思議とは不可思議のことで人間の思議を超えたことなのです。

 親鸞聖人は 世の中安穏なれ仏法弘(ひろ)まれ と残されました。この言葉は聖人のご消息集(お手紙のことです)にあり、関東の門弟に送られたお手紙の中の一節です。

 本当に、今年こそ、世の中が安穏にと願うばかりです。それは、今日的にも世界の全ての人々が共に生きるための願いが込められていることだと思います。それにはやはり、仏法の広がることだと信じて止みません。

聖徳太子のお心「和をもって貴しとなす」、「篤く三宝(仏教)を敬え」をしみじみと思い返しております。親鸞聖人は太子を日本のお釈迦様と称えられています。さて、

法語カレンダー表紙の「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」は、実は歎異抄の中に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とあり、それと同じ味わいなんですね。このことは12月に小さな・小さな仏教講座をさせて頂きお話させて頂きましたが、少し難しくブログでは長くなりますのでまた別の機会に。

 もう一つカレンダーの話題です。毎年、このような素敵なカレンダー(下図)を送って下さいます。勉強会「自分学の会」の代表をして下さったSさんからです。お手紙も添えて頂きました。いつもながら優しいお人柄が溢れています。(この絵の原画はSさんのお友達のお嬢さんの作品です。)私の書斎に飾りました。

閑話休題

 12月に、本ブログのダイジェスト版を有縁の方々にお送りしました。(基本的にはPCやネット等をなさらない方々に)このブログ以前から継続している紙印刷版ですが、いつもお一人・おひとりに一筆メッセージも添えて投函します。

  皆様から自筆のお手紙を頂戴しました。勿論、メールでのメッセージも返ってきます。どちらもいいのですが、私のようなアナログさんは肉筆のお便りは、ホントほっこりします。特に今回は皆様長いお便りを書いて下さいました。とても嬉しく拝読しました。

 暮れには形ばかりですがお仏壇を拭いました。亡き母はお盆やお正月の前にはとても丁寧にお仏壇や仏具を磨いていました。そんなことを想いながらお経を読誦し(12月は両親の祥月)今更ながら父母を懐かしく偲ばれて涙する私でした。

⭐末筆になりましたが、ご提言やご質問等のメッセージをお寄せ頂いております。今回は、

Mrs.modest様からご提言の「オンライン講座」についてですが、私、相変わらず身辺慌ただしくて、一定時間PCの前でのお行儀は無理なのです。今後の課題とさせて頂きます。リアルの講座も、いつも主催下さる会や組織の担当の方が準備や進行等万事フォローして下さいますので、可能という有様です。本当に不器用な私です。どうぞご寛容にお願い申し上げます。

いつも、温かなお心遣いの数々、とても有難く存じております。心より厚く御礼を申し上げます。変わらぬご支援をどうぞよろしくお願い致します。

NPO法人あのの も、現・代表世話人さんのお身体が復調されたようですので、この春には、新しい世話人さんとも十分なる打合せをしまして、通信会員(仮称)制等も具体化出来ますれば幸甚と存じております。

それでは、今宵はこれにて。

⭐拙ブログはコメントを受け取らない設定にしてあります。現在、なかなかブログの更新やチェックする時間が取れずにおります。私へのご連絡は本ページ左側(プロフィール欄の上)のメッセージを送るよりお願い致します。

 

 


移ろう季の間に。近況・心境

2022-11-30 | life

通称yoーサンこと Counseling Supervisor 米沢豊穂の近況・心境です。

 晩稲(おくて)と呼ばれる最後の稲刈りが終わると、北陸路の冬は駆け足で近づいてくる。山々も美しく染められ、人も自然も冬支度に入る。

 豊作を寿ぐように虹が美しい。刈り終えた圃場は安らぎの表情を見せる。

 早苗が春風にそよぎ、夏の日差しに輝き、そして黄金の波打つ風景がつい昨日のように思われる。

 この地で生まれ育まれたコシヒカリは美味しい。越前福井が生んだ秀逸の銘柄。ネーミングの由来は「越の光」である。特に九頭竜川、竹田川の両水系の清流が坂井平野を潤しよいお米を育てる。

 画像は我がふるさと福井県坂井市丸岡町。虹の下付近に国道8号、北陸道が走る。画像の手前後方には北陸新幹線工事が急ピッチで進められている。金沢・敦賀間の開通も近い。

 

 

北陸道・丸岡IC を降りるとやがて→の標識が見える。直進すると福井市へ。左折すれば永平寺、右折すると丸岡城を経て芦原温泉方面へ。

いずれへも30分もかからない。丸岡町(お城を中心に)は丁度その中間地点である。近年はコロナ禍で観光の車両も少ないが、以前は春秋のシーズンには大型バスが何台も連なっていた。

コロナが収束して、芦原温泉や永平寺へおいでの節はどうぞお立ちより下さい。私宅もここから丸岡城方向へすぐです。

坂井市は東部の丸岡町の山を源流にもつ竹田川が、西部の三国町の日本海に注ぐまで、とても広い。久々に海に会いたくなって愛車を駆った。下記画像左は三国港付近の河口、右側はまさに Beautiful sunset!だった。 ひとり見入っていた私。

移ろう季(とき)の間(はざま)に。

  

 閑話休題

時は疾風(はやて)のように駆け抜けて行った。地球の回転が3倍速になったのかと思えるほどに11月も慌ただしく過ぎた。

終活が脳裏を過る。想うこと全てをなし終えて還りたいものだ。ひと時の時間も疎かにはしない気持ちでいたいと自らに言い聞かせているこの頃である。

 最近 with corona  なんて言われる。コロナと共生・共存を意味するそうだが、英語圏では通用しそうにもない和製英語だ。それはともかく、コロナとの共生なんて御免蒙りたいものだ。with her ならgoodだが。

振り返ってみると、私宅(本宅・店舗)の内外の改修工事。所謂リニューアルで(リノベーションとまでは行かないが)工事の職人さんたちが入られると、打ち合わせや何かで結構たいへんなものだ。外壁工事は1個月余、内部は突貫工事で終えたが中の整理・配列等はそうは行かない。慢性的な人手不足の私宅、焦っても仕方がない。常に「今を生きる」私のカウンセリングの根幹でもある。

研修・講演の依頼も相次ぎ、久々に水を得た魚の如くでもあった。これぞ私の identity、yo-サンのyo-サンたる所以でもある。しかし、いずれも私の専門中の専門のカウンセリングや人間関係・コミュニケーションの分野である。まだ、啄木や文学を情熱的に語る機会がないのはチョッピリ寂しい。

 画像は長年に亘りお招き頂いている大手の社会福祉法人さんの新人職員研修である。コロナの中でも一度の中断もなく今年で35年になる。この2年間はオンライン

リモートであったが、今回は3年ぶりに集合研修であった。      

 勿論、広い会議室で受講の方々互いの距離は十分に取られている。

会場に入ると正面のスクリーンには一際大きな字で「お仕事、お疲れ様です」と映し出されていた。担当して下さる職員さんの温かなお心遣いを感じる。いつも一生懸命にお世話をして下さる。それは、私が40年間提唱し続けているカウンセリングマインドであり、とても嬉しく思うひと時であった。

 コロナによる機会減少で発声や声量に不安があったが、スズメ百まで何とやら、無事に務めさせて頂いた。

 第2講の「共感的理解」についての講義中で「傾聴」について話している。本来はこちらを最初にするのだが、今回は2回目にもってきた。聴くことは話すことよりずっと難しいからである。

 

共感的理解や傾聴については拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」に縷々書いているのでお読み頂ければ幸いである。                                                          

 自己表現については self‐expression であって、決して自己主張 self-assertionではない。

 世にあるアサーショントレーニング等とは似ていて非なるもの。私自身、自己主張はあまり好まない。最も大切にしていることは、肯定的自己表現である。

 

 否定形や命令形の言葉はイヤなもの。「よかった」「うれしい」「助かるわ」「楽しい」「素敵だ」等々をたくさん使いたい。「ありがとう」は最高の肯定的自己表現である。

末筆になりましたが、更新なき拙ブログをお訪ね下さったり、ご心配や励ましのメッセージを賜りました方々に心より厚く御礼を申し上げます。

お寄せ頂きましたご質問・ご提言につきましてのお返事は次回にさせて頂きたいと存じています。お陰様で yo-サン元気です。今宵これにて。

 


歎異抄と平家物語

2022-08-19 | life

以前、拙著「カウンセリングに学ぶ人間関係」を課題図書にされた読書会にゲスト参加させて頂いた。そのときに「今度は歎異抄を読むことになっていますので是非に」とのことだったが、折悪しくコロナの感染が広がり、一堂に会しての読書会は出来なくなった。その後、係の方から何度かメールやお手紙を頂いた。いつも「コロナが終息しましたら是非とも」とのメッセージを添えて下さる。

先日も近況を知らせて下さるメールがあり、会員の皆さんが歎異抄の文庫版を購入して読まれたそうだ。その感想として「現代語訳との対比の記述なので言葉の意味は分かるのですが、今ひとつ胸にストンと落ちないので」とのことであった。

たしかにそうだと思う。仮に私が行って単に高校の古典の授業のように講じても同様である。歎異抄には生き生きと響く親鸞の生の言葉が鏤められている。なので、親鸞の思想を理解し、その信仰に生きる者が自らの言葉で語ることによって理解を深めて頂けるのだと思う。しかしながら、コロナは終息どころか収束の兆しもなく更に感染拡大しているこの頃である。

近ごろ流行りのzoomやyoutubeなどの利用もあるが、皆さんはやはり一堂に会して、リアルに聞きたいとのことであった。私も本当にそう思う。長年お呼び頂いている研修先ではオンライン・リモートでの講義をさせて頂いている。しかしそれは会場、設備機器等が整っており、スタッフの方々の万全のフォローがあるから出来る。またそれは、あくまで研修であり講義だからでもある。

私は読書会やカウンセリング等の学びや集いは、参加者がお互いの表情や声がリアルに伝わり・感じられることを何よりも大事にしたいと思っている。同じ場で同じ空気を吸いながらやりたいと思っている。

ところで、読書会の次なる課題は平家物語にされたそうである。「こちらの時もぜひ出席を」とのこと。コロナの先行きは一向に見渡せないが、その日を心待ちにしている私。

<閑話休題>

歎異抄も平家物語も日本の中世的世界を支える国民的古典である。平家物語の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。風の前の塵におなじ。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ風の前の塵におなじ。

けだし名文である。これほど人口に膾炙された文はないであろう。全編を通してその低流にあるものは「無常観」である。一介の武士であった平清盛が太政大臣に上り詰め、「平氏にあらずんば人にあらず」とまで豪語したが、その極めた栄華も「盛者必衰の理」、高々20年ほどで滅びを迎えたのである。

もう800年も昔の物語ではあるが「無常」は今も変わらぬことである。それは釈尊のお悟りの根本「諸行無常」である。永遠不滅なんてものはないのである。清盛は、天皇により武士階級からは初めて「太政大臣」に任じられた。太政大臣とは、今で言うならば総理大臣のような地位であった。平家物語について長々記す余裕はないが、ふと先般のあの事件を思った。物語冒頭の「奢れる人も久からず」である。

「無常観」と言えば「もののあはれ」等と同様に日本独特の、ものの見方(観想)と捉えられるが、それは仏教思想の基本である。釈尊が辿り着かれた道は「諸行無常」であったと思う。「全てのものは移り変わる」ということである。それに気づけば自ずから如何に生きるかが分かるというものである。30年前の自分の写真を見てみよう。今の自分と比べてどうだろう。この先10年後は。いや1年後でもいい。自分の存在さえ不確か極まりない。

事件以来今なおネットやメデイアの情報穏やかならざるこの頃である。被害者と言い、加害者と呼ぶも、いずれも因果であり業である。「宿業」なのである。前回記した歎異抄の「人を千人殺してみよ」の数行先に、

よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。と唯円は書いている。意訳はせずにおこう。このまま味わって頂きたい。更には後序に親鸞の言葉が、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。とある。

「火宅無常の世界」とは、火に包まれた燃え落ちる家のような世界、つまり無常の世のこと。今の世も当にそうである。「そらごと たはごと」とは「空言(虚言)」、「戯言」と書く。事件の後、背景が露になってくる。関わり深い権力の側の発言は皆「そらごと たはごと」に聞こえてならない。

我が国中世に著された2冊の古典を繙きながら、しばしお盆のひと時を過ごしたyo-サンでした。お盆明け、相変わらず為すべきことがあれこれとあり、更新もお訪ねもなかなかままならぬ暮らしをしております。どうぞご寛容に。

それではまた。今宵これにて。

 


歎異抄とクリスチャン八木重吉の詩

2022-07-24 | life

前号で歎異抄より親鸞の言葉「ひとを千人殺してみよ」を引いたところ、何人かの読者の方よりメッセージを頂いた。

その中で、ある方が「歎異抄についてもっと知りたい・学びたい」とのことであった。お言葉はとても嬉しく有難いが、私はブログでそれを講じる器量はなく、他に多くの人たちが書物に著わしたりネットでも書いているのでそちらをご覧頂くようにとお返事をさせて頂いた。

歎異抄第二章に、はるばる関東から京都の親鸞の元へ「往生の要」を聞くために訪ね来た人たちに「・・・南都北嶺(奈良や比叡山)にも、ゆゆしき学生(がくしょう・先生)のおわします。どうぞそちらで聞いて下され」(筆者意訳)なんて言ってのける親鸞。趣旨はやや異なるが、私も何となくそんな感じであった。

これまでに何度も記してきたが歎異抄は短編である。まずは自ら繰り返し読んでいるうちに必ずや心に響く。その後、お尋(訪)ね下されば、私が感得し得たところをお話出来ると思っている。

<閑話休題>

先日の「小さな小さな仏教講座」の続きをとのご要望もあったので、以下少しばかり記しましょう。

クリスチャンの詩人の八木重吉の詩「秋の瞳」の中に「人を殺さば」と題して、

 ぐさり! と
 やつて みたし

 人を ころさば
 こころよからん

たったこの4行である。八木重吉のような敬虔なクリスチャンであっても、このように思うことがあるのである。人間誰しもこのように思うことがあっても、やらないだけのことである。

まさにそれは親鸞の言う「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」なのである。

八木重吉の詩は短いものが多いが幾つか紹介しながら、ご参加の皆さんと分かち合った。また何かの機会にup出来れば幸いである。

例の事件の加害者の行為は哀しいが、私は彼を責めることは出来ない。仏教は「殺すなかれ」と説く。されど、そのような因縁に繋がれば殺し、殺されてしまうのである。親鸞の言葉が殷々と私の耳を打つ。

命の尊さは誰であっても何も変わらないのである。この被害者のために文書を改竄させられた近畿財務局の職員さんの命もまた同様に尊く重い。

ロシアとウクライナの戦争はなおも続いている。幾千、幾万の兵士や無垢の人々が命を失っている。殺し合いは即刻やめるべきである。両国の指導者の責任は重い。 今宵これにて。

⭐八木重吉 詩人。東京都生れ。東京高師卒。敬虔(けいけん)なキリスト教信者で、キーツの詩を愛した。詩集《秋の瞳》は純粋な美しい心境を歌っている。没後《貧しき信徒》《神を呼ばう》《定本八木重吉詩集》等が出た。日本近代のキリスト者の詩として最も高い地点にあるものとされる。(百科事典マイペデイアより転載)

 


親愛なる友・朋へ(補筆修整)

2022-06-17 | life

(事務局は便宜上当面、私の研究所に置いております。)

「その後の あのの情報を」とのメッセージを頂きました。

ホント!間延びもいいところで失礼致しました。ごめんなさい。まず、個人的には身辺あれこれと目の回るほどの用事がドットコムで、共にフォローの方々のブログ訪問も間遠いこの頃です。

あのの につきましては、6月はNPOの組織上、事業計画や県NPOセンター等への書類提出等があります。それらは世話人代表の方がして下さるのですが、現在体調をくずされていて今しばらく休養されていますので、会務も只今小休止中です。

長年、理事長をして参りましたが、本来は常任講師でした。前任者の退任により次なる世代にお繋ぎするまでの間ということでした。それが、長々と今日に至ってしまいました。

それで、新しい行事計画も再吟味して実行へと思っております。何とか私の願いの通信会員(仮称)制の再開実現のために、ぜひご参加、お力添えをお願い申し上げます。

閑話休題

拙著の読者の方から私の昔のコミュニケルームについて「ご本の中にも出てきますが、どのようなところだったのかと想像しましても楽しいです」とのメッセージを頂きました。(あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係 第2章20頁)

先日、福井市内へ出かけましたので久々に行ってきました。内心「昔のままにあるだろうか」と何だかドキドキでしたが、ありました。ホント、昔のままでした。

勿論、中へ入ることは叶いませんが、昔のままの風情に思わずムネキュンでした。大家さんは前庭も綺麗になさっておられるようでした。皆さんから「埋もれ木の家(や)」等と呼ばれていました。たしかにその形容が似合いますね。コミュニケルームなんて言いますとビルの一室みたいな気がしますね。市内中心部にありながらとても閑静な一角でした。これぞ「埋もれ木の家(や)」です。

あの頃、おいで下さいました皆さん、どうぞ思い出して下さいね。これもGood old daysなんですねぇ・・・。

 

それでは今宵これにて。