深まりゆく秋。まさに灯火親しむ候。法友・U氏から「絶対他力道」をご恵贈に与った。
明治期の真宗大谷派(東本願寺)の学僧・哲学者「清沢満之」の五十回忌の時に記念出版されたものである。もう絶版になっていて貴重な1冊である。彼の弟子筋には私が惹かれて止まない暁烏敏(あけがらすはや)がある。
今日、仏教とか宗教とかを超えて親鸞が語られ、話題にもなるが、近代的意味において親鸞を再発見したのが清沢満之である。私にとって清沢満之は啄木とはまた違った意味でライフワークである。彼はヘーゲルなど西欧哲学をも学び、歎異抄を読み直し「自分の三部経は阿含経と歎異抄とエピクテータスの記録である」と述懐している。という訳で、繰り返し味読している最中である。(画像の電気スタンドは学生時代からの愛用のもの。時にはスタンドだけが夜なべしている。w)

蔵書のジャンルは多岐にわたるが、やはり仏教や心理学系が多い。昔から本は図書館で借りるよりも購入するタイプ。病気で臥せったら読もうなんて思って買うのだが、ちょっと風邪気味でもしんどくて本など読みたくない。なので積読が多い。

さて、コーヒーブレイクに。今宵はもうパソコンなど止めて読書に専念することに。ほな、おやすみやす。
明治期の真宗大谷派(東本願寺)の学僧・哲学者「清沢満之」の五十回忌の時に記念出版されたものである。もう絶版になっていて貴重な1冊である。彼の弟子筋には私が惹かれて止まない暁烏敏(あけがらすはや)がある。

今日、仏教とか宗教とかを超えて親鸞が語られ、話題にもなるが、近代的意味において親鸞を再発見したのが清沢満之である。私にとって清沢満之は啄木とはまた違った意味でライフワークである。彼はヘーゲルなど西欧哲学をも学び、歎異抄を読み直し「自分の三部経は阿含経と歎異抄とエピクテータスの記録である」と述懐している。という訳で、繰り返し味読している最中である。(画像の電気スタンドは学生時代からの愛用のもの。時にはスタンドだけが夜なべしている。w)

蔵書のジャンルは多岐にわたるが、やはり仏教や心理学系が多い。昔から本は図書館で借りるよりも購入するタイプ。病気で臥せったら読もうなんて思って買うのだが、ちょっと風邪気味でもしんどくて本など読みたくない。なので積読が多い。

さて、コーヒーブレイクに。今宵はもうパソコンなど止めて読書に専念することに。ほな、おやすみやす。