自民党の総裁選びの騒ぎの中、長引くコロナ禍で人々の閉塞感はいや増すばかりである。
特に家に閉じこもりがちなお年寄りの方々の心にも不安が募る。
本来なら、お彼岸の講話や講演等に出向くのだがそれも限られた範囲になっている。この頃よく電話を頂き、不安な心の内を聴かせて頂くことが多くなった。
昨日、あるおばあ様からの電話である。「お寺の行事やお説教も以前ほどはなく、あっても外に出るのが不安で行けません」と言われる。
かつて、あるお寺の彼岸会で私の拙い講話を聴いて下さった方だ。ためらったが思い切って電話をしたと仰る。3、40分ほど傾聴させて頂いた。ご自分の健康のこと、家族関係のこと等諸々を語られ、そして最後に「私のようなグチな者が本当にお浄土参りが出来るのでしょうか」と仰る。彼女の一番の悩みはここのところのようだ。(ダテに長年カウンセリングをしてきた訳ではない。一番の問題点、つまり悩みを的確に受け止めるのがプロと言うもの)
「行けますとも・行けますとも。〇〇さんがお浄土に行けなくて誰が行けるのですか。グチの人だからこそお念仏があるのです。有難いことですね。」とお応えした。
「センセのお言葉を聴かせて頂くと、ほっと安心します。でもまた不安になってきます。」と言われる。
「そうですとも、不安になるのが人間です。その時はまた電話して下さいね。」でクロージングだった。
分かっているんだけど、もう一度話したい、聴いてもらいたい。このおばあ様は確認スタンプを貰いたかったのである。
蓮如が吉崎御坊に滞在のころ、近郷近在からお参りの善男善女で溢れ返っていた。蓮如はきっと、人々の話を聴き、お念仏の謂れを説き、人々に安心を与えたのだろうと思う。
ブログの縁で交流のある、釈真聴さんは「仏教とカウンセリング」を中心にしておられる。そして親鸞聖人や蓮如上人は素晴らしいカウンセラーであったと仰る。言い得て妙、私もそう思っている。彼も私も寺の人間ではない。言わば在家の仏教者である。
坊さんや、その奥方辺りがこまめにブログなど書いているが、そんな時間があったら、もっと周辺の人々の心に耳を傾けてほしいと思うことしきりのこの頃である。
yo-サンのグチでした。