コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

夜話 仏教者&カウンセラーのグチ

2021-09-30 | life

自民党の総裁選びの騒ぎの中、長引くコロナ禍で人々の閉塞感はいや増すばかりである。

特に家に閉じこもりがちなお年寄りの方々の心にも不安が募る。

本来なら、お彼岸の講話や講演等に出向くのだがそれも限られた範囲になっている。この頃よく電話を頂き、不安な心の内を聴かせて頂くことが多くなった。

昨日、あるおばあ様からの電話である。「お寺の行事やお説教も以前ほどはなく、あっても外に出るのが不安で行けません」と言われる。

かつて、あるお寺の彼岸会で私の拙い講話を聴いて下さった方だ。ためらったが思い切って電話をしたと仰る。3、40分ほど傾聴させて頂いた。ご自分の健康のこと、家族関係のこと等諸々を語られ、そして最後に「私のようなグチな者が本当にお浄土参りが出来るのでしょうか」と仰る。彼女の一番の悩みはここのところのようだ。(ダテに長年カウンセリングをしてきた訳ではない。一番の問題点、つまり悩みを的確に受け止めるのがプロと言うもの)

「行けますとも・行けますとも。〇〇さんがお浄土に行けなくて誰が行けるのですか。グチの人だからこそお念仏があるのです。有難いことですね。」とお応えした。

「センセのお言葉を聴かせて頂くと、ほっと安心します。でもまた不安になってきます。」と言われる。

「そうですとも、不安になるのが人間です。その時はまた電話して下さいね。」でクロージングだった。

分かっているんだけど、もう一度話したい、聴いてもらいたい。このおばあ様は確認スタンプを貰いたかったのである。

蓮如が吉崎御坊に滞在のころ、近郷近在からお参りの善男善女で溢れ返っていた。蓮如はきっと、人々の話を聴き、お念仏の謂れを説き、人々に安心を与えたのだろうと思う。

ブログの縁で交流のある、釈真聴さんは「仏教とカウンセリング」を中心にしておられる。そして親鸞聖人や蓮如上人は素晴らしいカウンセラーであったと仰る。言い得て妙、私もそう思っている。彼も私も寺の人間ではない。言わば在家の仏教者である。

坊さんや、その奥方辺りがこまめにブログなど書いているが、そんな時間があったら、もっと周辺の人々の心に耳を傾けてほしいと思うことしきりのこの頃である。

yo-サンのグチでした。


免許更新と認知症検査

2021-09-19 | life

この春、気分転換にと車を入れ替えた。車検にはまだ少しあったのだが、サポカー補助金がつく間にと勧められたこともあった。

たぶんこれで最後の車になると思う。免許を取って半世紀余、専用のマイカーとして乗った車は全てセダンだった。今回は小さいながらも初めてUSV車にした。(カウンセリング心理学的には未完の行為の完成である)今は昔、初めて買ったのがパブリカだった。トヨタの「パブリックカー」がネーミングの由来である。空冷エンジンのいい車だった。以来、カローラ、コロナ(まだマークⅡなんてなかった)、そしてクラウンだった。

その後、セドリック、レガシー、そしてレオーネに。更にまたトヨタにカムバックして、マークⅡからプレミオに。この車は一番気に入って2台ばかり続けて乗り、1台目は15万キロ走った。これが最長だった。その後は自身の華麗じゃなくて加齢でぐっと小型のベルタにした。50年余りで10台、平均1台5年になる。たぶん車検との兼ね合いからだろう。今度の車は勿論4WD・サンルーフ付きだ。コロナが収束したらドライブにと楽しみにしている。琵琶湖に会いたくてしようがない。

ところが、免許更新前の認知症検査の案内が届いた。車はまだまだ必要なので受検してきた。最近、記憶力が減退しているので少し不安もあったが無事終了。「記憶力・判断力に心配ありません」の「100点」だった。やれやれ。

何処へ行くにも車がなければ話にならない。福井県自体がそうで、1所帯当たりの車の保有台数は1、7台余で全国1だそうだ。我が家のご近所は殆どの家の前に2~3台は並んでいる。言わば公共交通による移動の不便さの象徴である。

住み良さもトップクラスだそうだが、こればかりは全く実感がない。海や山が近く、人口密度が低いからかもしれない。なんて言うと県のおエラさん辺りに叱られるかもしれないが。              

私の住む坂井市丸岡町は古い城下町で坂井市4町の中では人口も最も多い。文化だ、伝統だなどと言ってはいるが、やや封建的なきらいもある。言わば皆が1国1城の主的気質なのだ。古くから織物の盛んな土地柄でもあった。シルクの羽二重からレーヨンへと、往時はあちこちから機音(はたおと)が聞こえてきたが、今は殆ど無くなってしまった。

機を織る音のことを「筬(おさ)音」と言われるが、それは手機(昔の手織り)の音である。近代の織物は力織機や自動織機で高速回転する。なので筬の音などしない。緯糸を打ち込むシャトル(杼・ひ)の音である。今はそのシャトルも無いエアーやウオーターのジエットルーム(織機)もあるが、丸岡にはそれも昔日のことになった。まあ、住めば都、或いは郷に入りては郷に従えなどと言うから、それなりに人生の殆どをこの地で暮らしてきた。都会への憧れもあったがついに叶わぬ夢で終わった。

せめて、今ひと度、若き日の夢を辿りながら、あちこち旅をしたいと思うことしきりのこの頃である。今宵また由なしことを連ねてしまった。