【ふるさとは麦秋】
我がふるさと坂井市は米どころ、コシヒカリ発祥の地である。
もうすっかり植え付けの終わった水田には、早苗が初夏の風にゆれている。
九頭竜川水系の豊富できれいな水をいっぱいに湛えて、水鏡となり白い雲を映している。
その向こうには、黄金色に色づいた麦畑が見える。
水田と麦畑のコントラストが何とも言えないくらいに美しい。
ここから遠望するふるさとの山並みも好きだ。
仕事に疲れたひと時を愛車を駆った。
そうだ、あの山の麓まで行こう。
Oh! 麦だ 麦だ 大麦だ。六条大麦だろうか。福井県は「六条大麦」の産地だそうだ。
麦茶や、ご飯に入れる種類と聞いている。(もし、違っていたらゴメンナサイ)
向こうに見える山は「鷹取山」で、450mくらいあり、中学生の頃に一度だけ登った記憶がある。
基本的には、私は登山は苦手だ。山は見ているだけで満足。
ふとまた、啄木の
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
を想う。されど私にとっては鷹取山よりも、たけくらべ(丈競山が正式だが私たちはこう呼ぶ)の方が
馴染み深い。こちらも中学生の時に一度だけ。あのころは学校行事で「山登り」があったのかな。
【閑話休題】
カウンセリング学習に、文学作品を使うことは前にもふれたが、それは難しいものよりも童話や昔話の
類が分かり易くていいと思っている。
長くご薫陶頂いた故・石川正一先生は「漱石 円い輪の中で」と題した著書で
「漱石の作品とカウンセリング」について種々考察されている。私もご恵贈にあずかったが少し難しい。
それは石川先生と私とのレベルの差だからだが。
石川先生の、あのやさしいお顔を想うと涙が滲む。
もっと、もっとお話しておきたかった。
晩年は杖を突かれて、私の金沢での講演会に来て下さっていた。
私が常任講師を務めている研究会で、何度も取り上げてきたのが「モモ」(ミヒャエル・エンデ)であ
る。「モモ」については拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」に縷々書いているので、説
明は省く。
童話では「泣いた赤鬼」も面白い。これも拙著で触れているので割愛する。
下村湖人の名作小説「次郎物語」なども、家族療法・カウンセリング学習の絶好の素材だ。
かつて、ワークショップでそのビデオを鑑賞し、皆でデスカッションをした。私は教育講演などの中で
よく取り上げる。他に「ふつうの人々」や「クレーマークレーマー」などのビデオも使った。
これらも、家族療法・システム理論的にも参考になる。
今度のワークには、イソップの「熊と旅人」を使ってみたいと思っている。
我が家にも、子どもたちが幼かった頃の絵本に載っている(今でも絵本などはズラリ保管している)が、
INで検索してみると下記のものがあった。
とても面白い。それは、
むかしむかし、ひげの生えている男と帽子(ぼうし)をかぶった男が、二人で旅をしていました。
ひげの生えている男の方が、帽子をかぶっている男に、
「おれたちは、友だち同士だよね」
と、言った時、
「ガォーー!!」
と、突然、大きなクマが出てきました。
ひげの男は帽子の男の背中に足をかけると、ヒョイと近くの木に飛び移ってスルスルと高い枝に登りました。
帽子の男はどこへ逃げたらいいのか分からなくて、道にばったりと倒れました。
死んだふりをすればクマに襲われない、と言う話を聞いた事があったからです。
クマは、
「クンクン、クンクン」
と、帽子の男のにおいをかいでいましたが、そのうちどこかへ行ってしまいました。
それを見て、ひげの男が木から降りて来て尋ねました。
「ねえきみ、いま、クマがきみに何か言っていたようだけど、何て言ったんだい?」
帽子の男は、こう答えました。
「クマはこう言ったんだ。『危ない事に出会った時、自分だけさっさと逃げてしまうような友だちとは、
もう一緒に旅をしない方がいいよ』って」
それを聞いたひげの男は、とても恥ずかしそうな顔をしました。
本当の友だちとは苦しい時や危険な時に助けてくれる人だと、このお話しは教えています。おしまい。
童話・昔話・おとぎ話の福娘童話集
私自身、この頃しみじみと思うのだが、人間って本当に苦しい時、つらい時、そしてどん底にある時こそ、
(それは心身ともにである)手を差しのべてくれる友(人)が欲しいものだと。
私はカウンセラーとして、いつもそんな気持ちでクライアントに接してきた。だけど、自分は自力更生・・・。
昔、私の母がよく言っていた。「あなたは村の石橋。他人(ひと)を渡して我が身は落ちる」なんて。
カウンセラーの憂鬱なんてシャレにもならないね。嘆くまい明日は明るく♪(何かしら?クリックしてみて)
*少し長くなったが、今宵はこの辺で。
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