前号で歎異抄より親鸞の言葉「ひとを千人殺してみよ」を引いたところ、何人かの読者の方よりメッセージを頂いた。
その中で、ある方が「歎異抄についてもっと知りたい・学びたい」とのことであった。お言葉はとても嬉しく有難いが、私はブログでそれを講じる器量はなく、他に多くの人たちが書物に著わしたりネットでも書いているのでそちらをご覧頂くようにとお返事をさせて頂いた。
歎異抄第二章に、はるばる関東から京都の親鸞の元へ「往生の要」を聞くために訪ね来た人たちに「・・・南都北嶺(奈良や比叡山)にも、ゆゆしき学生(がくしょう・先生)のおわします。どうぞそちらで聞いて下され」(筆者意訳)なんて言ってのける親鸞。趣旨はやや異なるが、私も何となくそんな感じであった。
これまでに何度も記してきたが歎異抄は短編である。まずは自ら繰り返し読んでいるうちに必ずや心に響く。その後、お尋(訪)ね下されば、私が感得し得たところをお話出来ると思っている。
<閑話休題>
先日の「小さな小さな仏教講座」の続きをとのご要望もあったので、以下少しばかり記しましょう。
クリスチャンの詩人の八木重吉の詩「秋の瞳」の中に「人を殺さば」と題して、
ぐさり! と
やつて みたし
人を ころさば
こころよからん
たったこの4行である。八木重吉のような敬虔なクリスチャンであっても、このように思うことがあるのである。人間誰しもこのように思うことがあっても、やらないだけのことである。
まさにそれは親鸞の言う「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」なのである。
八木重吉の詩は短いものが多いが幾つか紹介しながら、ご参加の皆さんと分かち合った。また何かの機会にup出来れば幸いである。
例の事件の加害者の行為は哀しいが、私は彼を責めることは出来ない。仏教は「殺すなかれ」と説く。されど、そのような因縁に繋がれば殺し、殺されてしまうのである。親鸞の言葉が殷々と私の耳を打つ。
命の尊さは誰であっても何も変わらないのである。この被害者のために文書を改竄させられた近畿財務局の職員さんの命もまた同様に尊く重い。
ロシアとウクライナの戦争はなおも続いている。幾千、幾万の兵士や無垢の人々が命を失っている。殺し合いは即刻やめるべきである。両国の指導者の責任は重い。 今宵これにて。
⭐八木重吉 詩人。東京都生れ。東京高師卒。敬虔(けいけん)なキリスト教信者で、キーツの詩を愛した。詩集《秋の瞳》は純粋な美しい心境を歌っている。没後《貧しき信徒》《神を呼ばう》《定本八木重吉詩集》等が出た。日本近代のキリスト者の詩として最も高い地点にあるものとされる。(百科事典マイペデイアより転載)