筑紫路は花ぐもりかな旅の空
旅先から絵葉書などを書くようになって、かれこれ半世紀になる。
今度の長崎、福岡の旅からも何人かの友に一筆認めた。
博多のホテルで、長らくご無沙汰している関東の畏友にも、拙い俳句を添えて投函した。私は俳句は、ほんのお遊びに詠む程度である。自称・俳人たちや、テレビで騒がしい先生などには、まるで関心もないのがホンネ。
旅から帰って数日後、1通の長方形の郵便が届いた。私が書き送った拙い句を短冊に、流麗な仮名で認めて下さった。短冊掛けまで添えて下さり感激であった。
彼女とは古いお付き合いであるが、お会いしたことはないがお写真は拝見している。手紙の遣り取りは何度もしている。彼女はある名刹のお裏様で、深窓の麗人とでも言おうか。私の仕事にも関心を持って下さる。書をよくなさり、とても素敵な方である。
ネットのようなバーチャルというか、謂わば「匿名性の交流」が盛んなこの頃であるが、お互い、肉筆での便りを出し合えるところに、人間としての温かさをしみじみと感じる。そのような友が多いことは有難いことである。
本ブログは、そのルーツにも記しているが、不特定多数の人々が読んで頂くことは当然ながら、主たる目的は私の講演や研修の受講者、主宰する文学やカウンセリングなどの研究会の方々に対する、私の「心境・近況」のメッセージである。読者の方々と出先でお会いしても「ブログ拝見しています」と言われるとラポールが深まる。
今宵は、相次いでいた講演や講義を無事熟して、ほっと一息。
独り盃を傾けながら、歌など歌い、初夏の夜を楽しんでいるyo-サン。
酔うほどに歌う我が愛唱歌♪(クリックして一緒に歌ってネ)
あゝわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
石を抱(いだ)きて野にうたう 芭蕉の寂(さ)びをよろこばず・・・
これぞyoーサンのyo-サン的こころ。(昨夜半に記す)
旅先から絵葉書などを書くようになって、かれこれ半世紀になる。
今度の長崎、福岡の旅からも何人かの友に一筆認めた。
博多のホテルで、長らくご無沙汰している関東の畏友にも、拙い俳句を添えて投函した。私は俳句は、ほんのお遊びに詠む程度である。自称・俳人たちや、テレビで騒がしい先生などには、まるで関心もないのがホンネ。
旅から帰って数日後、1通の長方形の郵便が届いた。私が書き送った拙い句を短冊に、流麗な仮名で認めて下さった。短冊掛けまで添えて下さり感激であった。
彼女とは古いお付き合いであるが、お会いしたことはないがお写真は拝見している。手紙の遣り取りは何度もしている。彼女はある名刹のお裏様で、深窓の麗人とでも言おうか。私の仕事にも関心を持って下さる。書をよくなさり、とても素敵な方である。
ネットのようなバーチャルというか、謂わば「匿名性の交流」が盛んなこの頃であるが、お互い、肉筆での便りを出し合えるところに、人間としての温かさをしみじみと感じる。そのような友が多いことは有難いことである。
本ブログは、そのルーツにも記しているが、不特定多数の人々が読んで頂くことは当然ながら、主たる目的は私の講演や研修の受講者、主宰する文学やカウンセリングなどの研究会の方々に対する、私の「心境・近況」のメッセージである。読者の方々と出先でお会いしても「ブログ拝見しています」と言われるとラポールが深まる。
今宵は、相次いでいた講演や講義を無事熟して、ほっと一息。
独り盃を傾けながら、歌など歌い、初夏の夜を楽しんでいるyo-サン。
酔うほどに歌う我が愛唱歌♪(クリックして一緒に歌ってネ)
あゝわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
石を抱(いだ)きて野にうたう 芭蕉の寂(さ)びをよろこばず・・・
これぞyoーサンのyo-サン的こころ。(昨夜半に記す)