迅速測図 槻木(2万分の1)
明治23年測量 明治27年製版 陸地測量部・第二師団参謀部
左下に「山崎山公園」が見える。明治23年頃、すでに公園と呼ばれていた。
公園を調べてみた。
日本における近現代公園史 -Wikipedia-より
日本の公園は、明治時代以降に開設された。これより以前に、江戸時代には仙台に桜の
馬場(元禄8年(1695)) 現在の榴岡公園)など各地に馬場が存在し、社寺境内と同様に
鑑賞樹木を植栽し見世物小屋や射的、茶屋などが出店しにぎわいをみせていた。
明治に入ってからは神戸の外国人居留遊園(明治元年(1868))と北海道開拓史偕楽園
(明治4年現存せず)、横浜の山手公園(明治3年))が存在した。明治期に入って
からすぐのものは、居留地の外国人専用などであり、日本国民にとっては公園ではなかった。
太政官布告による公園整備
日本では、明治6年(1873)1月15日の「明治6年太政官布告第16号」において、
『三府ヲ始、人民輻輳ノ地ニシテ、古来ノ勝区名人ノ旧跡地等是迄群集遊観ノ場所
{東京ニ於テハ金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂社、清水ノ境内、
嵐山ノ類、総テ社寺境内除地或ハ公有地ノ類} 従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽
ノ地トシ、公園ト可被相定ニ付、府県ニ於テ右地所ヲ択ヒ、其景況巨細取調、図面相添
ヘ大蔵省ヘ伺出ヘシ』
と定め、上知令により旧社寺地等を接収し公園としたのが営造物公園制度の始まりである。
この布告で1873年3月25日国内最初の5公園が正式指定され、明治20年(1887)頃までに
約80ヶ所の公園が全国で設置された。
明治20年頃までに約80カ所の公園が全国で設置されたとある。
この中に、山崎山公園が入っているのか?
旧社寺地等を接収し公園としたのが営造物公園制度の始まりである。
とある。山崎山公園も墓地であったので、旧寺地を接収した公園が合致するが・・・。
もう少し調べる必要がある。