やっと、ここ2-3日で桜は満開を迎えた。勿論里山などに分け入るとまだ時間がかかりそうだが、主な桜の名所は豪華に満開になった。
先日の水車などの近くに、桜守公園がある事を知った。桜守として桜の研究に身を粉にし、生涯を終った笹部新太郎の屋敷の跡が、本人の意向で公園になって残っている。
左:阪急岡本駅前にあったポスター。これは手書きのポスターである。7日(日)に花祭りである。
右:道標があった。
桜守公園が見えてきた。花が濃い。
笹部新太郎:岐阜県北部の庄川上流に出来る「御母衣(みぼろ)ダム」建設の時に、巨大な桜の木の移転が余儀なくされた。その時に笹部新太郎の懸命の努力によって、移植が困難と言われた庄川桜を移植させた男である。水上勉の「桜守」の小説のモデルになった人である。
それに感動したバスの車掌が、太平洋と日本海を結ぶ道路沿いに、桜並木を作ることに専念した話はよく知られている。
右:彼の住んでいた屋敷が遺言によって、桜の公園となって残っている。
この桜の出現はおそらく笹部氏の手によって、この岡本の地で交配されたものだろう。
淡いピンクが美しい。
枝垂桜は優雅である。
花そのものは小さくて、それほど色彩が濃くない。
しかしまあ、品種の違いはよく判らない。命名した名前に由縁がありそうで、花は顕微鏡で確かめないといけないのかなあ。
先日の水車などの近くに、桜守公園がある事を知った。桜守として桜の研究に身を粉にし、生涯を終った笹部新太郎の屋敷の跡が、本人の意向で公園になって残っている。
左:阪急岡本駅前にあったポスター。これは手書きのポスターである。7日(日)に花祭りである。
右:道標があった。
桜守公園が見えてきた。花が濃い。
笹部新太郎:岐阜県北部の庄川上流に出来る「御母衣(みぼろ)ダム」建設の時に、巨大な桜の木の移転が余儀なくされた。その時に笹部新太郎の懸命の努力によって、移植が困難と言われた庄川桜を移植させた男である。水上勉の「桜守」の小説のモデルになった人である。
それに感動したバスの車掌が、太平洋と日本海を結ぶ道路沿いに、桜並木を作ることに専念した話はよく知られている。
右:彼の住んでいた屋敷が遺言によって、桜の公園となって残っている。
この桜の出現はおそらく笹部氏の手によって、この岡本の地で交配されたものだろう。
淡いピンクが美しい。
枝垂桜は優雅である。
花そのものは小さくて、それほど色彩が濃くない。
しかしまあ、品種の違いはよく判らない。命名した名前に由縁がありそうで、花は顕微鏡で確かめないといけないのかなあ。