石神井川の桜。一部開花している。春はもうすぐなのに。気が晴れない。地震による被災地のこともさることながら、重くのしかかるのは原発である。チェルノブイリみたいにずさんな管理の結果の事故と同じにみなされるのが国辱といってよい。いくら旧ソ連とちがうといっても結果の重大性は同じだ。
一部の報道では石棺化の話が出ているようだ。そんなことになれば、狭い日本の国土の一部に立ち入り禁止区域ができることになる。行ったこともないけど、美しい南東北の太平洋岸にタブーのような土地が生じるなんて、日本人としてあり得ない話である。なんとか食い止めてほしいと思うばかりだ。
それにしても、今となれば遅いが、原子力エネルギーの必要性についてもっと真剣に議論すべきであっただろう。想定外の事故が起きた、というだけで済む話ではない。いくら火力や水力に比してコストが安いからといっても、いったん今回のような事故が起きれば、どれほどのコストが将来にわたって発生するのか見当もつかないであろう。いったん事故が起きれば、原子力はクリーンだなどということがただの神話であったことがわかる。
もう遅いが、日本には、ほかにも原子力発電所がいくつもある。その多くは70s vintage nuclear plantである。安全性をもう一度見直すこと。日本だけではなく、世界中の武力、非武力にかかわらず、いったん原子力で重大な事故が起きたら、取り返しがつかないほどたいへんなことになるということをもう一度考えなければならない。それがFukushimaの教訓にならなければ嘘である。。