人生の値打ちとは、何をやったかではない。生産的ではないが、人生の値打ちは結果ではないからだ。結果を求めるのと、本題は全然違う。
結果ではないとしたら、人生の値打ちとは何か。その人が味わう感動の数で決まると思う。感動の数が多いほど、人生は充実していると思う。間違いない。
どうしたら、感動の数が増やせるか。ひとを疑わないことである。ひとを疑い出すと、感動の数は減りこそすれ、増えることがない。ワシはこれを単純人生感動主義と呼ぶ。
単純人生感動主義だと、その人の能力や経験は関係がない。だれにも平等である。レベルの高低、他人の認知度、そういうものは全く関係ない。感動は相対的でなく、絶対的だからだ。