寺の関係なのに、高校生のころからよく聖書を読んでいる。長いこと読んでいなかったのだが、最近またちょこちょこと読んでいる。全般的にストーリーが見えにくいのだが、一つ一つの文に重みがある。
高校生の頃など、部活で先輩にいじめられるのが嫌で、登校拒否になりかけたが、聖書の「明日は明日自身が思い悩むであろう。」という言葉に活路を見出したものである。
「人を裁いてはいけない」とか、「右の頬を打たれたら左の頬もうたれよ」などというのは、この歳になるとずっしりとくる言葉である。
してみると、聖書はストレス社会に生きる上で、いかにして困難や苦悩に立ち向かうかということを説いているものなのであろう。だから、信仰に関わらず、すぐれた古典として読んで損はないような気がするのだ。