湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

がっくりきた話

2011-03-22 22:07:32 | 学習

3月29日に楽しみにしていたサッカー日本代表の試合、4月3日の吉川なまずの里マラソン、同じ日のFC東京の試合、4月17日のかすみがうらマラソン。すべて中止になってしまった。

とくに、かすみがうらマラソンは、初めてのフルマラソン挑戦で、年明けから、ハーフを3回、青梅マラソンで30キロと、入念に準備を重ねてきただけに、ほんとうに残念である。

マラソンで残念なのは、入金済みの参加代金が返金されないことである。かすみがうらマラソンの場合は義援金に回すとのことであったが、吉川なまずの里マラソンは、さようなことはひとことも書かれていなかった。良心にまかすほかないが。

お祭り的な要素が高いとはいえ、吉川の市民マラソンくらい、ふつうにやればよかったのではないかとも思ったりもする。幹線道路を封鎖するわけでもないし。ま、感性の問題なのだろう。


関西、いまやらずして・・・

2011-03-21 21:16:26 | 学習

東日本は震災の影響が大きい。原発問題が収束しても、当面、東京がイニシアティブをとってゆくことは難しいと思う。今こそである。遠慮せずに西日本がガンガンゆくときである。西日本が日本をひぱってゆかなければならない。

西日本、四国や九州などは震災の実感がないと思う。あたりまえである。揺れもしなかったのだから。テレビで見ただけだという人が震災を実感できるわけない。

実感できないということは何も悪いことではない。実感できないことを武器に、東日本や首都でできないことをガンガンやってほしいと思う。例えば、震災でGDPは減少する。その分を西日本で補わなければならない。自粛している場合ではない。

実際、本社機能を大阪に移転する動きが出ているらしい。不謹慎な意味でなく、今がチャンスである。首都機能を奪ってゆく、そのくらいのつもりでやってもらわなければ、日本は復興しない。


春本番

2011-03-20 19:29:52 | 学習

前から計画していたスキーは中止にした。スキーは不謹慎ということもないが、停電の影響もあり、代替的に大江戸温泉物語に行き、ホテルイースト21東京に泊まってきた。

 

大江戸温泉物語はなかなか、おもしろかった。宿泊もできるそうだが、予約で埋まっていた。残念なのは混浴がないこと。

ホテルイースト21は東京スカイツリーが売りである。真正面にそびえたっている。ビュッフェの料理もうまかった。

帰りは、東陽町から門前仲町まで歩いた。豊住公園脇の運河沿いに河津桜が満開であった。ここの河津桜はご近所の方の寄付によるものらしいが、見事である。

 

今日は暖かかった。いよいよ春本番である。

受験の終わった娘たちには、楽しみにしていたスキーで思いっきり遊ばせてやりたかったが、このご時世では仕方がない。が、それなりに楽しんだようである。


卒業式~補記

2011-03-18 22:21:02 | 学習

ワシ自身の中学校の卒業式の思い出。約30年前の話である。

ワシは、当時、中1からずっとクラス委員長で、3年ときは生徒会長もしていた。成績もよかった。そんなリーダー格の生徒だった。ふつう、そういう場合、別れの言葉は当然、ワシが読むはずだった。

なのに。別れの言葉は、副会長だったカワバタが読んだ。高校受験も重なっていて、バタバタで気がつかなかったのだが、ワシは飛ばされ、栄えある別れの言葉はワシではなかった。

噂では、見た目のよいカワバタに決まったという話であったが、非常に不愉快な思い出である。

以上。


卒業式1

2011-03-18 22:13:33 | 学習

上の娘の卒業式に出た。

卒業式は歌が多い。君が代、手紙、その他。一緒に歌った。カラオケじゃねーぞ、ってニョーボに怒られた。かまうもんか。

卒業生のうち、3分の1くらい号泣していた。男子でも女子でもそのくらい。みんな純だ。ワシらのころは誰も泣かなかった。

奇しくも、今日、上の娘の高校の制服が届いた。下の娘の制服はすでに届いていて、着替えて写真を撮って田舎のおばあちゃんにメールで送った。

いよいよ春だ。


地震6

2011-03-17 22:11:18 | 学習

前々からずっと楽しみにしていた、毎年恒例の家族スキーは、いろいろ考えて中止とした。もともと、受験の終わった娘たちへのごほうびのつもりで、小淵沢のリゾナーレに泊まってのスキーだったのだが、小淵沢が計画停電の対象地域になったこともある。

そもそも、遊びに行く気にはなれないだろう。ワシは行政職でもないし、単なる一市民であるが、それでも他人事とは思えない。まして地震に加えて、原発の問題にめどが立っていない状況で安穏と遊びに行く気になれない。

Jリーグが、いつからリーグを再開するかという問題に際して、復興支援の観点から興行するという考え方もある。災害が起こって、復興の時期というのは、通常で考えれば、ノーマルな生活が回復してからということなのだろう。そういう意味ではまだまだ復興の時期ではない。あたりまえである。

復興の時期でないのに、スポーツ興行は基本的には娯楽であり、被災者の感情を逆なでするだけで、復興支援にはならない。ただし、この線引きは難しい。いつまでも、震災で消沈していても始まらないという意見もある。ただ、間違いなく、今日現在では、まだその時ではないと思う。


サクラ

2011-03-16 23:58:30 | 学習
さくらという名前の新幹線が3月から走っている。新大阪から鹿児島まで走るらしい。下手すれば、東京から鹿児島まで、いや、青森から鹿児島まで新幹線でつながる。しかし、そんなに乗ったら、お尻が痛くなってもたないだろう。

地震5

2011-03-15 22:30:42 | 学習

マスコミのせいなのかどうかわからないが、地震以来気分が沈む。原発の件など、時々刻々と状況が悪くなっている。昨日書いた会社の社員のように、避難場所に閉じ込められている人が何万人もいて、その方たちの生活環境も日に日に悪くなりつつある。まだまだ、地震の影響はじわじわと出始めたばかりだといえる。

そんなことを思うと、ふつうに生活していること自体が申し訳なく思ったりする。何も偽善ぶっているわけではない。同じ日本人として当然である。個人的にも、東北にしょっちゅう行っていて、前日にも仙台にいたということもあり、他人事とは思えない。余計にそこに引きずられる。

昨日から企業の業務も再開しているが、都内は交通事情が悪く、自宅待機者もかなり多い。気分が落ち込むことに上乗せして、人も少ないこの状況だから、仕事に身が入るわけがない。昨日は一日中オフィスにいたが、何だかイライラして仕方がなかった。

今日は、かねてよりの予定であり、札幌に日帰り出張してきたのだが、少し気分がよくなった。いくら気分が落ち込むといっても、やるべきことをやるしかないと気がついたから。今このときに、やるべきことはボランティア活動ではない。やるべきは天職たる仕事である。個人的にもそうだし、社会全体から見てもそうだ。気分が沈むといって経済活動を沈滞させるわけにはいかない。

救援活動や原発の処理は、政府や東京電力に頑張ってもらうしかない。それらは自分にはできない。自分ができることを、平時以上にしっかりやる。自分にできることとは自分の仕事である。あとは節電。余力があれば募金。

自宅待機して、よたって、落ち込んでいるヒマはない。明日からは山陽地方、関西地方に泊まりがけで仕事に行く予定。


地震4

2011-03-14 20:52:56 | 学習

ワシは会社では東北、北海道を担当していて、よく仙台には行く。先月は二度、花巻に行き、北上にも一泊している。出張の際に地震に巻き込まれる可能性は多分にあった。

現に前日、仙台のお役所に行き、仙台の支店の担当者ふたりと打ち合わせをした。4時くらいまで仙台にいたから、もし前日に、同じタイミングで地震が起きていたら確実に被災していた。

打ち合わせをした二人のうち、ひとりは、金曜日に花巻に行き、そこで地震にあい、今日、月曜日現在、まだ花巻で足止めを食らっているらしい。

もう一人に至っては、南相馬に行き被災した。南相馬といえば、福島原発の30~40キロ圏内である。やはり、着の身着のまま、月曜日現在まだ南相馬にいる。

南相馬にいる担当者は親しい間柄で、今日早朝に、心配している旨のメールを送信していたところ、夕方、無事を知らせるメールが返ってきた。「何とか生きてるよ」。

明日は、かねてより北海道に行くことになっていて、羽田から千歳まで飛行機に乗る予定。東北地方上空を飛ぶわけだが、下を見るのが怖い気がする。


地震3

2011-03-13 21:47:32 | 学習

地震が起きてまず気になったのが、帰宅の交通手段。オフィスから見える山手線、中央線は止まっている。ネットで調べると都営地下鉄も止まっている。

そもそもエレベーターが止まっている、と館内放送している。まずい。ふたり行方不明の人がいたが、1階でたばこを吸っていて、戻ってこれなくなったようだった。なんせ50うん階だもんね。階段登るのが大変だ。

それにしても、出張や外出の多い部署なのに、金曜日でほぼ全員がオフィスにいたのは奇跡的だった。ワシも前日仙台に行っていたが、もし当日出張していたら、帰ってこれず、ホテルも取れず、支店のビルで野宿して、火曜日くらいまで東京に帰れなかっただろう。

6時を過ぎて、どうにも電車が再開しそうにないので、歩いて帰宅することになった。帰宅できない社員はオフィスに泊まったそうだ。

まず、下に降りるのが大変で、降りるのに15分ほど。ワシはふだん走っているから平気だが、ふだん運動していない人は大変だったようだ。また、ヒールの靴を履いていた女子も大変だった。

西新宿から練馬まで10キロ。自転車で通勤していたこともあるから、たいしたことないと思っていたが、こんな日に限って、歩きにくいデザートブーツで出勤していたのがつらかった。がまんして、中野坂上、東中野、中井、落合、江古田、練馬と大江戸線通りに歩いて帰った。

だいたい2時間ほどかかった。途中で、知らない人と談笑して歩いた。不思議なものである、初対面の人でも話すネタが尽きない。「じゃ、これで」なんて、その方と桜台のあたりで別れて、ようやく家についた。

家の中はけっこう乱れて、グラスが割れていたようだが、娘たちが掃除してくれていた。とりあえず、家族は全員無事。幸運に感謝した。

思えば、ここ15年くらいにあった2回の大地震。阪神大震災と今回の東日本関東大震災だっけ。阪神大震災のときは府下に住んでいて被災したし、10年前に上京して来て今回の地震。ぎりぎりでかすって大きな被災を免れている。被災地の無事を祈ってやまない。