酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ノグチⅣ

2014-02-14 08:50:58 | もっとくだまきな話
「野口君に『ノーベル賞』をという世界の流れには違い無いのだが」
「そう、彼には学歴がないから・・・これまで、我が学士院は彼に何も与えてこなかった。しかし・・だ!」
「そうなんですこの『時事新報』ここまで書かれるとは・・」
時事新報は、当時としては、海外の話題を取り入れる紙としては権威ある新聞でした。
そこには、ノグチが、ドイツ医学会で講演を数多く行い、ドイツ医学会の頂点「ミューラー博士と接見」した事を大きく取り上げております。
しかも、ノーベル賞候補とも。
「もしこのまま、彼の評価をこのままにしておいて、ノーベル賞を取ったとなると・・」
「新聞はこう書きますな『恩賜賞よりノーベル賞が先だった。学士院は何を見ていたんだ』と。」
日本学士院は、慌てます。
野口が医師であることは間違いないのですが、単に「伝染病研究所の元職員」でしかないわけです。
大学医学部を出たわけではない。
当時、学士院のメンバーでは、考えられない事態なのでした。
しかし、ドイツ医学に傾倒している日本医学会で、そのドイツから多大な評価を得ているノグチを無視する事は出来ません。
そして、政治的な背景もあったのでした。
「欧州戦争が拡大して居るし・・もはやドイツに留学生という訳には行かない」
「ではどこに?」
「アメリカではどうだろうか」
そうなのです、アメリカへの留学が一番安全であったし、それなりの研究施設はあった訳です。
問題があるとすれば、日本人の経験者が少ない。
「ロ・研究所の『野口君』を頼るほかないだろうな」(「ロ・研究所」=「ロックフェラー研究所」)
こうした政治的打算が働きます。
学士院は1915年7月。ノグチに「学士院恩賜賞」を授与致します。
賞金は、千円。

「あいつに千円なんて渡してみろ!何に使うか分かったもんじゃない!」
郷里の恩師、小林はその全額をノグチから預かる約束を取り付けます。
と、言いますか・・後見人である小林千秋が一度受け取る形を取りましたので、ノグチへ送る前にやることを整理致しました。
ノグチは手紙でその事を知るのですが、過去が過去だけに、何も言うことはできません。
まずは、借金の支払い。
婚約解消と渡航費用で血脇から借りていた三百円を返します。
母シカへは、田を一町六反を買って「恩賜田」とします。
会津の田舎ですが、ノグチの名声は聞こえてきます。しかし、ノグチがアメリカでどんな生活をしているか、までは知る由もないのです。
少し、それますが、給料としては、日本で開業している医者より手取りは少ないのです。
ヨーロッパでの講演や宿泊費は全てロックフェラー研究所が持ったわけです。
そんな状況ですが、会津の人達は「あんなに有名になったのに、俺達には何もない」という評判が立ってしまいます。
小林は後々の為にそれを払しょくいたします。
縁のあった、村人へ、祝儀として、配布いたします。(これが、帰国の時に威力となったのは、言うまでもありません)
そうした明細は、アメリカへいるノグチの元へ手紙として報告されます。
そして、最後には、必ずこうあります。
「君の帰国の日を教え乞う」と。

ノグチ自身はメアリーとアメリカで結婚生活をしております。
「本来ならば、日本へつれていきたいところだが・・」
こうした考えはノグチも持っております。
しかし、当時、外国人が非常に珍しい時代です、「女房がアメリカ人」というだけで、村は衝撃に包まれることは明白です。
ですから、帰国へ二の足を踏まざる得ません。そしてもう一つ、どうしようもない問題が。
「帰国の費用が全くない」
ノグチはヨーロッパから帰ってから、目立った実績を上げておりません。
所謂「スランプ状態」に陥っております。
メアリーは、それを気遣います。
「やはり、一度日本へお帰りになったら・・」
こう話しかけてきます。彼女自身は「自身が日本へ行ったら・・」とは考えておりませんでした。
聡明な彼女でした。自分が日本へ一緒に行ったら、好奇な目で見られる。分っている事なのでした。
普通ならば、と、言いますか、例えばキタサトの場合は国費留学生であったし、帰国に際しては、国が全面的にその費用を賄ってくれてます。
そうでなかったとしても、世界的に有名な学者であれば、招待と称して、學界やら研究機関であるやら、その費用の面倒を見る。
これは世界の常識なのです。
ノグチには、それがありません。
奥さんから頻繁に言われ、研究所へ行けばフレクスナー(所長)からも、帰国を薦められる。
さて、先立つものを得るためには・・途方に暮れました。

SF作家「星新一」さんが亡くなられました。つい最近の事ですが、酔漢は中学時代に拝読いたしました「マイ国家」を今でも時たま紐解きます。
地球攻略の宇宙人の儀式は面白かったなぁ。
地球に降り立った宇宙人が、基地を建設します。これを、目撃されるわけです。目撃した人間は、あらゆる人にそれが事実であることを伝えようとします。
現地へ連れて行き現場を指さします。
「ごらんなさい!あそこに宇宙人の基地があるではありませんか?」
しかし、そこには、何もない何時もと変わらない風景が。
かれは、うそつき呼ばわりされ、精神的にも疑いを持たれます。
人々の関心がすっかりなくなった時分に宇宙人が再び訪れます。
「しかし、この儀式は一体何の為にやるんだい?全く無駄だとは思わないかね?一度完成させた侵略基地を取り壊して、新たに作り直す。こんなバカげた事を、もう何千年、そして、何百もの星々で行っているなんて。ご先祖様の教えだからやっているようなもんなのに・・」

いきなりの展開で驚かれたと思います。周りくどくいたしました。
その星新一さんのお父上が主題なのです。「星 一」と言います。
製薬会社「星製薬」の創業者です。ノグチの親友でもありました。
ノグチは電報を星へ送ります。
「ハハニアイタシカネオクレ」
星はこれまで、製薬会社の顧問のような契約をノグチと結んでいて、会津のノグチの母シカへ、名義料として十五円を送金しておりました。
星はすぐさま五千円をノグチに送りました。
流石のノグチも、この金に手を付けることはしませんでした。(よほど、帰国をしたかったのでしょう・・)
単身日本へ向かいます。
アメリカ大陸を横断し、シアトルへ。


1915年9月7日。
横浜丸、横浜港へ着。
ノグチ二日酔い状態。
「ドクター!ドクターノグチ!横浜へ着きましたよ!ドクター!」
船員がさんざん、ノグチの部屋をノックしております。
ノグチは一言も話さず、ベッドの上でふさぎ込んでいます。
ドイツでの晩餐会の時の会話を思い出すのでした。
「どうしてあなたは、日本へ帰らないのですか?」
「私が帰ったところで、日本には働き場がないのです。受け入れてもらえる環境が日本には無いのです」
「どうして?あなたのような医学の英雄がそんな目に合わなくてはないのですか?」
「私にはgakurekiがないものだから?」
「gakureki?何なのですか?」

「ドクター!開けますよ!」
ノグチのいるのを見て、その船員は、急かします。
「早く、甲板へ。甲板へ出て下さい!待ち望んだ帰国ではないですか?」
「やだ!キタサト先生は帰国した際、だれも迎えに来てくれなかったと聞いた。まして私だ!だれも・・だれもいない埠頭には降りたくない!」
その船員は、呆れます。(子供じゃないのだから・・・)
「ドクター!あなたには、この声が聞こえないのですか?」
部屋のドアを大きく開けます。
そこから聴こえてくる人々の大きな声!
「野口君!帰国おめでとう!」
「天才野口君。バンザーイ!」
「バンザーイ!バンザーイ!」

東京日日新聞「天才野口君 米国ヨリ本日横浜着」
時事新報「本日十六年振ニ錦衣帰朝スベキ野口博士」

横浜の埠頭を埋め尽くす人々。
ノグチも信じられない顔をしております。
埠頭へ降り立ちます。同時にマスコミからの取材攻勢。
「野口博士、ご帰国の目的はなんですか?」
「一番行ってみたいところはどこですか?」
「講演会はどこで何時やるのですか?」
もみくちゃにされながら、進んで行きます。
酔っている暇はありません。と言いますか、酔いがすっかり冷めております。
「野口君!私だ!ここだ野口君!チワキだ!野口君!」
「せ・・・先生!先生!」
人の波を押しのけて、ノグチは、血脇盛之介の元へ駆け寄ります。
「よくぞ!よくぞ!帰って来てくれたぁ!」
「先生、この人は、新聞記者も大勢いた訳で驚きました」
「いやなぁ、儂も少々やり過ぎたかと思うておるのだが・・・そのう、新聞社へ、君の帰国する日時を教えておったのだよ。だれもおらんかったら、寂しいし、君程の学者を迎えるに相応しい事をしたくてな・・」
小林、血脇、二人の恩師をはじめ多くの知人達が遠方にも関わらず、横浜まで向えに来ておりました。
その日、ノグチは帝国ホテルへ宿泊します。
これから、二か月。
講演会、晩餐会が毎日行われる日程となります。
それは、自己顕示欲の強いノグチを満足させるのは十分すぎるものでした。(最初の内は・・・なのです)

東京大学医学部内。
「大学も出てない奴なんかに、何故おれが挨拶せねばならないのか?」
青山です(キタサト以来だなぁ)正確には「東京帝大医科大学長」。
「ですが、先生、野口は、ドイツ学界でミューラー博士に接見し、ドイツ學界から賞までもらっている・・・」
「なにぃぃ!何故それを早く言わんのか!ドイツ医学会に俺が逢わなかったと伝われば、面白くはない!」
「それに・・・」
「それに?何だ?」
「ノグチは『伝研出身』ですしぃぃ・・」
「何だぁ!北里の弟子だと?なお更だ!俺は会いに行く!行ってやる!帝国ホテルだな!」
9月7日の事でした。
夜には北里が自らが料亭へ招待いたします。
一度は、離れたノグチですが、(今でも研究所、蔵書紛失事件は、「野口が飲み代欲しさに質入れしたのではないか」と。この疑念は払拭されておりませんが)有名になっての評価ですから、北里も大変嬉しく思っております。
全ての晩餐会に、血脇は、同行しております。



渡米するときの記念写真
左から、ノグチの左手の手術を行った渡辺先生。野口。血脇先生。小林先生。

この写真を最後にノグチは日本人との写真はありません。
彼が日本で何を想って、何を知ってアメリカへ再び向かったのか。
それは、冒頭のイラストからも分ります。
このイラストですが、森田信吾氏によるものです。「栄光なき天才たち 野口英世」からのものです。
お札のイメージより、こちらのノグチの方が、より本音に近いノグチなのだと信じます。
ノグチは、野生の匂いを持っております。

次回、日本滞在後半。
猪苗代へ12時間の旅。





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1 コメント

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こんばんは (見張り員)
2014-02-19 21:05:30
金銭やら学閥やら・・・
なんだか大変な世界ですね(-_-;)。
しかし帰国後の大騒ぎはノグチにとってはある意味気分いいものだったのかもしれないですねw。

う~~ん、知れば知るほど「偉人伝」の野口英世とは違う姿が見えてきます!
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