小学校の話の続きです。サッカーのお話はまた後程お話いたします。従兄弟からネタを仕入れてきます。帰塩したときに。
さて、昭和48年夏休み。酔漢は塩竃市内小学校水泳大会に出場する代表に(クラス単位)選ばれておりました。種目は50m自由形です。ちなみにこの時の自己ベストが46秒ですから、早くはありません。酔漢の息子は小学校6年で34秒前半で泳ぎます
(親馬鹿ブログ?ではないんだけどなぁ)
さて、大 . . . 本文を読む
「ハーフタイムに入ります。おやあの ム という旗はなんでしょうか」
NHK、西田善夫アナウンンサーが、あれっ?といった感じで話しております。
第二回ワールドユース日本大会。場所は国立競技場。スタンドに大きく広がった赤
に白字に「ム」(本当は、カタカナの「ム」ではないのですが)の大きな旗。
テレビを見ていた酔漢は、「あいつらやったな!」と思わず叫びました。
「あれ、おめえらの高校の旗でねえのか」と父 . . . 本文を読む
酔漢のいた(もうさんざんお話しましたが)塩竃市立第二小学校は、野球の盛んな小学校でした。当時といえば、野球が人気ナンバーワンのスポーツであることは、確かなのですが、塩竃はサッカーも盛んな町でした。特に、これも小学校レベルでは県下1、2を争うチームがありました。塩釜FCは当時、塩竃市内の小学校からオープンで人を集めた、クラブでした。特に、塩釜市立月見ケ丘小学校や第一小学校の児童が多かったと記憶して . . . 本文を読む
1978年初夏。宮城県蹴球場。コンクリートの客席に、芝生席。土のグラウンド。時たま土ホコリが舞うピッチ。
宮城ユースゴールキパー佐藤敏彦(塩釜高校)の甲高い声が響いていた。相手は秋田ユース代表。
「宍戸(仙台向山高校)もどれ!サイド!サイド!。井深(仙台向山高校)右!」
一瞬のスキを突かれた感じである。宮城の誇る黄金の中盤がミスをした後、最後の攻撃を秋田が仕掛けてきた。この時点でスコアは2-1 . . . 本文を読む
秋刀魚の味といえば、小津大監督の映画の題名ではございますが、(映画の話はまた後程たんまりと書き込みます)当時の塩竃を思えば、この題名もはてさて、よろしいのかなと思います。
当時塩竃は秋刀魚の水揚げ日本一の港でございました。国立水産研究所が塩竃市にありまして、その社宅は酔漢の実家(塩竃市小松崎)のすぐそばにありました。秋刀魚漁の解禁が近づくと、秋山さん(水産研究所研究員)秋刀魚漁漁獲高予測が新聞 . . . 本文を読む
これまで、酔漢自身の小学校の頃の話を書いてきましたが、またまたエツジ(塩竃市立第二小学校時代、5,6年の担任)の登場です。
一学期も終わりに近づき、夏休みの宿題がそろそろ話題になり始めた頃、国語の授業中、「大造じいさんとがん」とかやっていた頃です。
「夏休みも6年生は、勉強もちゃんとしねくてだめだど。去年は俺も出さなかったけんど、今年は宿題に理科の自由研究と感想文は必ず出すこと」
「えーーー . . . 本文を読む