少しだけ「下駄履きの御仁」にはお休みをしていただきます。もちろん丹治氏なくて、酔漢の中学生活を語ることなどできないわけですが。今日のお話は昭和50年五橋中学校軟式庭球部のお話です。
題名に「打倒立海大付属」としましたのは、「テニスの王子様」のパクリです。本当ならば、仙台市中学体育大会(中体連)で4連覇中の五橋軟式庭球部ですから、どちらかと言うと、立海大付属の立場なのかもしれませんが、あの部活の雰囲 . . . 本文を読む
仙台市立五橋中学校。当時は1学年10クラス。人数だけは、マンモス校並ですが、校庭は、市内の中学の中でも1.2を争う狭さです。体育館なんて、1学年がようやっと入るだけです。ですから卒業式はお決まりの体育館ではなく、県民会館を使って行っておりました。合唱コンクールも県民会館でした。(因みに家内のおりました八木山中学校では市民会館を使っておったそうです)
今日の題名「4日前の話」です。ですから、酔漢 . . . 本文を読む
先月、叔父の葬儀の帰り、少ない時間の合間を縫って丹治氏と会いました。
「酔漢。んでどこで呑むすか?」
「先輩の好きなところで」
「鯨喰うか?」
「えっつ。喰えんのすか?」
「そこはほれ、仙台だっちゃ。駅のそばにあっぺ」
とあんないされたところは、駅前、名掛丁のはずれ。
「昔、公安が出入りしていた書店ありましたよね。芝居の脚本たくさんあったからよく使ってたのしゃ」
「あれは、あの当時、本当に中核の連 . . . 本文を読む
仙台市立五橋中学校。この存在が奇妙な中学校には、いくつかの伝説が残っておりました。少しだけ紹介いたします。
私自身、高校入試が南北分割になった二年目での受験でした。ですから、私が1年生時の3年生はまだ学区制になる前の受験生です。五橋といえば、仙台市立ながら、受験対策に熱心な中学校でしたが、実はスポーツもかなりさかんで、各競技連覇がかかっておりました。昭和50年、仙台市中体連の成績を見ましても、団 . . . 本文を読む
仙台市立五橋中学校。校庭は仙台市内の中学校でも一、二を争う程狭く、生徒数は仙台市内の中学校でも一、二を争う数でした。酔漢の居た学年も10クラスほどありました。全校生徒が校庭に集まりますと芋を洗うような状況になります。
以前より塩釜市立第二小学校を紹介いたしました。県下で二番目の児童数の小学校でしたから、酔漢、小、中とも古い校舎と人の多い学校で学んだこととなります。尤も、当時の五橋中学校でおそら . . . 本文を読む