5回を迎える直前から雨が激しく降ってきました。この段階で、仙台商業を応援している側は、試合成立後のコールドゲームを願っていたに違いありませんでした。エースである水沼君の肩はもはや限界に来ておりました。この大会も、絶対的なエースというわけにはいかず。彼の経験と猛練習で培った針の穴をも通すコントロールで打者を打ち取る軟投型のピッチャーになっておりました。おそらく、彼のことですから、決勝戦先発のマウン . . . 本文を読む
小学校の話から、いきなり高校野球の話になったようですが、小学校からの延長にこのストーリーがあります。中学校・高校こそ違えたとは言え、水沼君の活躍は、私の支えにもなっておりました。この大会、母校(仙台向山高校)の成績もさることながら(ベスト16でした。ちなみに酔漢自身この大会前で応援団を引退しておりました)仙台商業の甲子園出場を願っておった一人でした。
話が少し離れますが、仙台商業の応援団にみつどめ . . . 本文を読む
小学校時代の話はまだ続きますが、この話は私が中学校の時の話です。
前回の話で、私が仙台市立五橋中学校に入学した事は書きました。家は塩竃にありましたから、越境入学です。当時、塩竃市からこの中学校には何人か通っておりまして、私は仙石線で通学しておりました。当時、仙石線は西塩釜駅より先は単線になるため、西塩釜始発の電車がありました。私は本塩釜から一駅先の西塩釜で乗り換えて(できたら座りたいとの意志です) . . . 本文を読む
塩竃二小のエース水沼君(エースでクリーンナップで児童会長)の話を前回のブログで書いておりました。で、夏の大会の準決勝の相手中新田小クラブのエース伊藤君との出会いは、この大会のことでした。出会いと言っても、彼は対戦相手のピッチャーですから、この時点で話をしたとかという事ではありません。これからの話はこの大会より半年後、酔漢が中学校に入学した時から始まります。
話はいきなり飛ぶのですが、この大会の結果 . . . 本文を読む
塩竃市立第二小学校、夏休み最初の行事は、子ども会対抗(地区対抗)の少年野球大会でした。7月28日~29日まで(予備日1日)おおよそ30チームによるトーナメント戦が始まります。各子供会ごとにユニフォームが揃えられており、野次馬を含めると運動会より大きな大会でした。
5イニング1試合で準決勝と決勝が7イニングでした。
酔漢は小学校6年次、小松崎2区 というチーム(あまり強くない)でキャッチャーをしてま . . . 本文を読む
前の話で登場したエツジ先生は、今でも現役で小学校の先生をしています。県北のあたりだと聞きましたが、実際はどこで先生をしているのかは知りません。僕等の学級担任だった頃はまだ20代の若い独身の先生でした。石の森の出身だと本人は言っておりました。
ある日の事です。終業式の大掃除をしておりました。暑い日。土曜の午後です。
「んでぇ、掃除終了すっからっしゃ。教室さぁ集合!」
「やれやれやっと終わったからや」 . . . 本文を読む
小学生になる息子がいきなり「あちゃ、おちゃ、げんまいちゃ」と叫びながら家に入ってきました。
「なんで、そんな前のマンガギャグ知ってんの?」
「友達のお兄ちゃんが言ってた。昔のマンガだって」
「燃えるお兄さんだよね」
「とうちゃん知ってんだ」
「書いた人、知ってるから」
「ホントに!?」
昭和49年、塩竃市立第二小学校。秋の頃です。「マタンキ!」「マタンキ!」僕等恒例の挨拶でした。そしてすぐ、さ . . . 本文を読む