僕らと用務員である大友さんとの関係は、先生との関係以上のものだったと記憶しております。立場は違いますので、一概には言えないのですが・・。
同級生の佐藤正君も同様でした。大友さんは僕らの話には欠かせない存在だったのです。ですから、彼の描いた漫画が社会的事件になりその内容を知ったとき、僕は信じられない感覚を持ったのでした。 . . . 本文を読む
山形は「大石田」に行ってまいりました。半分仕事。ですから仙台には数時間しかおられず、当然塩竈へは行っておりません。
お昼近くなり父の勧めで「きよ」というお蕎麦屋さんに行ってまいりました。
「おんせんたまご様」風酔漢流でお話いたします。
「落語の話?」です。ある落語も思い出しました。
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本編の主題に入ります。が、その前に少しだけ(もう一度)当時の「塩竈市立第二小学校」を振り返りたいと思います。
今回は「用務員」さんと僕らの関係?です。保健室より人気のあった用務員室でした。当時の言葉を使います。なんら他意はございません。予めお断りいたします。
何卒ご理解、ご容赦お願い申し上げます。 . . . 本文を読む
2007年2月に更新いたしました記事でした。アーカイブスですから再放送と同じですよね。ですが、新しい情報も加味いたしております。当時ブログを始めたばかりでしたので、アクセス数が一日数十件、閲覧数が数ページでございましたし、コメントを頂くことなどなかったのでした。ですから、今一度語りたいと考えました。
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塩竈市内の小学校校舎では、一番古い校舎ではないでしょうか。現在の塩竈二小です。この校舎は僕らの時代は新校舎でした。写真一番右上の教室が僕らのおりました6年7組です。この教室であった事をお話し致しております。 . . . 本文を読む
決してネタがつきたわけではございません。ですが、3年前に語りました話をもう一度語りたくなりました。
この最後のさとう君ですが、現役の漫画家でございます。彼の話を今一度皆様にお聞きしたい処も出てまいりました。
しばらくお付き合い下さい。 . . . 本文を読む
この男を登場させるのに、果して「ニ・一高定期戦」(こう言う言い方もたまにはいいかと思いました。ほんの悪戯です。ご容赦)の話での方がいいのか。「落語」での話の方がいいのか迷いました。彼は、すばらしく落語の実力を持っておりましたが、この時期です。「定期戦」での登場の方がこの男には相応しいかと考えました。
一高応援団OBでありながらアマチュア落語の名人でもありました。
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再び、日立ファミリーセンターです。東北学院大学落語研究会。4年生は最後の寄席です。その最後の最後、大取りを努めております「快亭枝現」君。
演題は「鼠穴」
物凄い気迫が会場を包んでおります。僕は固唾を飲んで見守っておりました。 . . . 本文を読む