酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 明日へ 繋がった一本の糸

2011-04-26 11:48:04 | 大和を語る
「大和を生みし者達」で、その進水式の様子を西島亮二氏の視点から語りました。 進水式では、庭田元呉海軍工廠造船部長の証言ならびに手記が残されており、その顛末をしることができます。 「くだまき」では「祖父・海軍そして大和 大和を生みし者達 命名 『軍艦大和』」で語りました。 昭和十五年八月八日朝七時半、五万の工廠従業員がようやく正門内にすい込まれ、呉市四ツ道路から眼鏡橋にいたる大通りは、人影もまばら . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 明日へ プロローグ

2011-04-25 10:21:25 | 大和を語る
四月二十一日。読売新聞朝刊十四面。 読売新聞がその特集として「昭和時代」を掲載するとの記事でございました。 「連載企画『昭和時代』のプロローグとして、五つの視点から、歴史になりつつある『昭和』を考えてみよう」との見出しでございました。 題名は「ものづくり 技術の系譜」として、「はやぶさ」(小惑星探査機)「スバル360」そして「軍艦大和」の写真がそれぞれ掲載されておりました。 「親父、『はやぶさ』 . . . 本文を読む
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南三陸の味。幻の蛸。

2011-04-22 10:17:27 | 東日本大震災
「ひーさんの散歩道」ブロ友さんでございます「ひーさん」が前回、蛸の話を記事にしております。 「味だこ・・・うめがった~」こちらへ参りますと、それはそれはおいしそうな蛸の見事な写真が掲載されております。 酔漢が今回写真にいたしましたのは、「蛸の頭(←この言い方も少し不思議なような気がしないでもないのですが)の部分を刺身」にしたものです。 「たこ焼きにでもすっぺか」だったのですが、「今度いづ食えっかわ . . . 本文を読む
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Take Me Out To The Ball Game 君はサチェルを知っているか。

2011-04-19 10:52:51 | 野球の話
年下君が無事この春高校生になりました。 「英語の教科書見せてくれないか」 「いいよ」 となりまして、ページを開きました。 「今の教科書は写真が多いなぁ」と、しばらく読んでおりますと。 「ジャッキー・ロビンソン」の話。 「おい、この野球選手。知ってるか?」 「誰?」 「ジャッキー・ロビンソンだよ。『メジャーのカラーの壁』を最初に破った男さ」 「『カラーの壁』?なんだそれ?」 「それまで、メジャーは肌 . . . 本文を読む
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県営宮城球場のD・N・A

2011-04-14 09:28:13 | 野球の話
野球場の座席順が「い・ろ・は・・・・」順でした。 「い」はバックネット裏正面。右側へ行って「ろ」左側へ進んで「は」でした。 ナイターが出来るようになったのが、昭和48年のシーズンから。 当時は「後楽園球場より明るい」ということで話題になりました。 「おらほでもプロ野球のナイターみられっちゃ」 本当に喜びました。 「だれ、おめぇ真昼のように明るいんだおん」 最初にナイターを見た、せいじ君が朝教室で皆 . . . 本文を読む
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一個の宅急便

2011-04-11 10:33:12 | 東日本大震災
震災から一ヶ月。 また、このカテゴリーを語らなければならない。 そんな出来事があった。 正直、「大和を語る」を続けたかった。 そうはさせてもらえないようだ。 傷は思ったよりもはるかに深く。日常に戻りたい。戻さなくてはいけない。 そんなガッツも尽く打ちひしがれてしまう。 真夜中の地震は、相当な恐怖であったろう。 すぐさま母と連絡を取り、丹治さんとも電話で無事を確認した。 M7.1。 数字以上の恐怖 . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 祖母

2011-04-08 10:25:06 | 大和を語る
昨年3月18日。 前日、急に思い立ち「横須賀」へと向かいました。 「横須賀市不入斗七二七」 祖父家族が住んでいた住所でした。 当然、現在は番地が変わっております。 考えますれば、何故この日に「横須賀へ行こう」と考えたのか、不思議でなりません。 JR横須賀駅。この駅は不思議な駅です。 先ず、階段どころか、段差が一つもありません。 そして、一番ホームがありません。 建物は昭和初期のまんまです。 「じ . . . 本文を読む
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祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 四月七日

2011-04-07 08:14:33 | 大和を語る
第二艦隊が沖縄突入作戦を決行し、その途中、米第58機動部隊の攻撃にあい、作戦中止を余儀なくされ。多くの犠牲者を出しました。 その日、今日。 66年目の春です。 祖父命日。 墓石のあるところは、まだ確認しておりません。 背の高い墓ですので、倒れているのかもしれない。 こう思っております。 「大和を語る」は、本来、今日。最終話とする事を目標に語ってまいりました。 昨年四月七日は、父の「がん宣 . . . 本文を読む
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理(ことわり)

2011-04-04 08:45:13 | もっとくだまきな話
4日前に開花したと思ったら、今朝がた見たら、こんな感じでした。 この桜。仙台公園(毎度勝手なネーミングです)にある桜の中で一番先に咲くのでした。 「染井吉野」ではなく、「大島」でもないようで・・。 そのあたりは詳しくなくてすみません。 「くだまき」が「桜」とコラボするなんて、珍しいなぁ。 と自分でも「どういう風の吹き回しか」と、語りながら思っておるわけです。 ここの所、瓦礫の写真が多くて、そ . . . 本文を読む
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くだまき・・は

2011-04-02 06:00:00 | もっとくだまきな話
震災の話が続きました。 自分の気持ちもまだ整理できておりません。 ですが、「くだまき」も日常に戻そうかと思いました。 本来ならば四月七日で「大和」最終を迎える予定でおりました。 ですが、この震災でそれはなりませんでした。 次回から、「大和を語る」続きにいたします。 ですが、故郷の復興を望む気持ちには変わりはございません。 また、行方不明の知人もおります。 これらを、思いながら、くだまきを続 . . . 本文を読む
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