矢矧の奮戦を再び語ります。が、本日、本編としては、いささか時間に制限がございます。
これから仕事です。
ですが、父のアルバムから一枚の写真をご紹介いたします。
この写真、昭和52年4月7日。徳之島で行われました慰霊祭での集合写真です。
写真の題はこのように記載されております。
「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没戦士 第三十三回忌合同慰霊祭参加記念」
「於 徳之島犬田岬 52.4.7」
酔漢父が . . . 本文を読む
今住んでおります建物の真下。
引っ越した際、この新しい庭(公園)に案内されました。
公園から棟へは近道となりますが、正面に欅の木が数本。
宮城県の県木と気づきました。
そして、欅の真下には正統種の「仙台萩」が植えられておりました。
萩が成長しますと枝がかなりの長さになり、通行人の邪魔になるとかで、夏と初秋にかなり短く刈られてしまいます。
ですから「野草園」のあの迫力というわけにはまいりません。
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不幸にして艦が停止するや、わが矢矧は敵攻撃の生き目標となり、いながらにして雷爆銃の集中攻撃をうけるに至った。もちろん損傷少ないわが砲銃は一刻たりとも黙してはいない。全員必死の奮闘により、少なくとも七、八機の敵機は確かに撃墜撃破したものの、いよいよ苛烈となった敵雷爆撃の命中炸裂によって、わが高射砲機銃は架台も人も、もろともに、相次いで空中高く吹き飛ばされてしまった。
(原為一 矢矧艦長 手記より抜粋 . . . 本文を読む
「矢矧」魚雷数本ノ巣ト化シ、タダ薄黒キ飛沫トナッテ四散
上記は大和元電測士吉田満氏が著されました「戦艦大和ノ最期」からの抜粋です。
「矢矧」の奮戦はこのたった一行からは伝わりません。映画「男たちの大和」は、大和が主人公でございましたので致し方ないのかもしれませんが、「坊ノ岬沖海戦」があたかも大和一艦だけの戦いのような描き方がされております。
酔漢はこれまで「冬月」「涼月」「朝霜」と第二水雷戦隊の . . . 本文を読む