酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

訃報

2012-04-29 09:40:37 | 東日本大震災
どのような題にしたらよいものか。 途方に暮れました。 そして、このような場で、語ることが許されるかという事も。 ただ、遠くとは言え、多少なりとも縁があれば、それをお伝えすることも「くだまき」なのであろうかとも。 2011年9月11日放送 22:00 - 23:15 フジテレビ Mr.サンデー 3.11市民映像ドキュメント 東日本大震災発生時に、石巻市立病院で手術をしていた内山哲之医師は、避難せ . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・津浪の記憶 寺田の言葉

2012-04-27 12:29:54 | 東日本大震災
この「くだまき」は「ひーさん」のテリトリーかもしれません。 実際、今回もお借りする写真、記事がございます。 ひーさんは、これらの事を震災前にまとめておられます。 震災後、それらの記事(例えば、田老の防潮堤の記事など→津波防災の町/田老町2010年07月12日 | 岩手県の散歩道)を改めて読む機会を作りました。 さり気に、ひーさんは、この震災があたかも近未来的に起こりうるような文章をお書きになられて . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・津浪の記憶

2012-04-25 12:19:40 | 東日本大震災
「波」と「浪」には現在特別な使い分けは無いようです。 ですが、似て非なる部分も多少なりともあろうかと考えました。 「波」は「なみ」の総称。 「浪」は「さざなみ」の意が強いそうです。 「さんずい」が「けもの」になりますと「狼」。 「津波」は「津浪」の方がその恐ろしさが伝わるのかと思いました。 寺田寅彦は、論文、論説全て「津浪」と表記しております。 おそらく、深い意味はなく、学術的にも「津浪」が当時 . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・寺田と今村

2012-04-20 11:05:38 | 東日本大震災
以下、今村明恒の日記より。 大正十二年九月一〇日(月曜)  震災予防調査会の委員でもある寺田寅彦博士の意見に従って、この大地震後初めての震災予防調査会の委員会を十二日に開くことにした。 九月一三日(木曜)  午前中に、昨日の委員会で特別委員として選ばれた中村清二博士、寺田寅彦博士、佐野博士と地震学教室で集まって打ち合わせ、午後にもまた、打ち合わせの会合を開いた。 九月一七日(月曜)  これま . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・今村明恒 補足です

2012-04-19 07:36:22 | 東日本大震災
本日の朝刊の一面「首都圏地震想定被害」 昨日、語りました「今村明恒」の言わんとしておるところを具現化したようなハザードマップでした。 今村は「地震は起こる。だが、被害を最小限度まで抑えることは可能」と言いたいがために、あのような論説を掲載させたのでした。 今朝の朝刊の中身です。 このくだまきでは、「地震の被害想定」を語るものではありません。 これは、寺田の言葉を借りながら、もう少し先に語ろうかと考 . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・今村明恒

2012-04-18 10:18:51 | 東日本大震災
今村明恒の日記を最初にご紹介いたします。ですが、「くだまき」本編はこの日記の後に語っております。 日記は、参考として頂ければよろしいかと存じます。ですが、今村のこの記録は割愛すべきではないと判断し、特に1日部分は全文掲載といたしました。 携帯での御高覧でありますれば、かなり読みにくいと存じます。 ご容赦下さいませ。 先に、申し上げました通り、この日記の後の部分でも十分に酔漢の真意は伝わることかと考 . . . 本文を読む
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遡って・・・

2012-04-17 09:41:39 | 東日本大震災
「接点ふたりの科学者」 それぞれのくだまきに題をつけました。 当初は「ふたりの・・・」だけで、お伝えしようかと考えておりましたが、どうも表題をつけた方が自身の言葉が明確になるように感じました。 「行き当たりばったり・・」 「くだまき」故、ご容赦下さいませ。 酔漢 拝 . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・関東大震災

2012-04-16 12:12:56 | 東日本大震災
理研、その敷地内には数棟の研究施設が立っております。 寺田研究室と仁科研究室は同じ棟にございました。 もっとも、サイクロトロンを作成した際は、仁科研究室は膨大な敷地に移動しております。 寺田研究室は、研究員が一人しかおりません。 中谷宇吉郎です。 生涯を雪の研究にささげた人物として知られております。 「先生、仁科研・・凄いですね。続々と全国から俊英が集まっているようですが・・」 「ここでは、大学 . . . 本文を読む
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接点 ふたりの科学者。それから・・・寺田寅彦

2012-04-13 10:30:27 | 東日本大震災
日記。 寺田寅彦。 大正十三年四月十八日。 朝学校へ大河内君が来て理化学研究所員にならぬかとさうだんがあった。 「そろそろ、君に家に来てもらいたいんだ」 「大河内君、僕はね大学だけでも大変なんだ・・」 「やはり、身体の事が気になるのかね?」 「それもあるけど・・」 「大学は大学の時間に合わせての生活だろ。うち(理研)は君の時間で何をやってもいいんだよ」 「・・・・・・・・」 「寺田研究室」通称 . . . 本文を読む
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今、くだまきで語っていること

2012-04-12 09:26:18 | もっとくだまきな話
どうしても、自分の中では完結してはいない「東日本大震災」です。 これは、本当に想定外であったのだろうか。 酔漢は、科学に疎く、どうもその視点になりますと腰が引けてまいります。 ですが、ある史実を紐解きました折、自然災害である「巨大地震」と人災である「福島原発事故」の二つの事実が、ある一点に歴史がフィードバックすることに気づきました。 その点が「財団法人理化学研究所」にあるわけです。 酔漢は「理研」 . . . 本文を読む
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