長い間、ありがとうございました。
本日をもちまして「大和を語る 祖父・海軍そして大和」のカテゴリーは最終回といたします。
見切り発車、何の知識もないまま語ってまいりました。
先ほども「おせっかい焼き様」からコメントを頂戴いたしましたが、「おせっかい焼き様」程の知識がなければ、本来「語るべき内容ではなかったのではないか」と反省いたしております。
皆様の暖かいお言葉がなければ、ここまで来ることはできませんでした。
この場ではございますが、改めまして御礼申し上げます。
さて、付録ではございませんが上記の写真。「宮崎駿」ばりの集合写真です。
「戦艦比叡」
印が付いておりますのが「祖父」でございます。
時代、撮影時期など、詳細は不明です。
比叡の必殺35.6サンチがわずかに見えております。
これだけの人数が揃いますと、さすがの比叡も小さく見えてしまいます。
今回は。いくつか「くだまき」で使いました本、他資料をご紹介いたします。
「慟哭の海 戦艦大和死闘の記録」能村次郎著 昭和四十二年八月二十五日 第一刷 発行者 鈴木敏夫 発行所 読売新聞
酔漢が一番初めに読んだ大和の記録です。
「暗号翻訳」「伊藤司令長官と草鹿参謀長と同期」など、誤記がございますが、元副長の手記は、バイブルとも呼べるものかと思います。
この手記をもとにしたかどうかわかりませんが、昭和四十二年九月「読売新聞 昭和史の天皇」当時の切り抜きです。
上記、副長手記の誤りがこの新聞では訂正されております。
「戦艦大和ノ最期」吉田満著 一九七四年十月二十五日 第一刷 発行者 伊藤金吾 発行所 北洋社
最初に書かれたものを吉田元電測士が書き直したものです。
この本の記録性は物議を醸しだすものですが、「大和の顛末」を氏の視点から語ったそれは、三島由紀夫氏が絶賛したとも言われております。
しかし、やはり記憶と記録を交差させましたとき、この本の価値は別なものとなっていくような気がいたしております。
「戦艦大和」吉田満著 昭和四十二年一月二十日 再販発行 発行者 河出朋久 発行所 河出書房
「いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。その滅亡は、一つの信仰の死である。この死を前に、戦士たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春はからずも「絶対」の直面する。この美しさは否定しえない。ある世代は別なものの中にこれを求めたが、作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である」(同書210頁 三島由紀夫氏 あとがきより抜粋)
三島らしい、あとがきがつけられておりました。「一読者として」とございます。
「伊藤整一 戦艦大和に殉じた至誠の提督」星亮一著 1999年6月3日 第一刷発行 発行者 江口英彦 発行所 PHP研究所
母校東北福祉大学で講師をされておられました星先生の著です。酔漢との接点はございませんでした。恥ずかしながら、同校で非常勤講師をしておりましたが、先生のお名前はこの本を手にして初めて知ったのでした。
海軍の歴史、ロケーションなどは一部訂正したい箇所もございますが、伊藤整一司令長官のそのお人柄等はよく描かれているとそう感じました。
先生にお会いしたかったのですが、今度、母校を訪ねた際に聞いてみようかと思います。
「真相・戦艦大和ノ最期」原勝一著 2003年7月7日 初版発行 発行者 伊藤淳 発行所 KKベストセラーズ
米国防省の公式記録が閲覧解除になってすぐの書です。
これまで、明らかにされなかった記録と写真が掲載されております。
特に、「駆逐艦朝霜」の最期の写真などは、記録性の価値も大きいものだと思います。
この書「清水元副砲術長」とされておりますが、「清水元副砲長」の誤りであることは、その後の氏の著から訂正されております。
軍艦には副砲術長はなく、清水さんは「副砲の長」(15.5サンチ3連装2基→改装後)だったのです。
原氏は多くの大和に関する著を書かれておられます。
「伝承・戦艦大和<下>」原勝一著 1993年12月25日 初版発行 発行者 川島裕 発行所 株式会社光人社
「上」はレイテ以前のお話と開発に纏わる話が主でしたので、買い求めておりませんが、「森下信衛参謀」の証言などが掲載されております。
雑誌「丸」に掲載されていたものをまとめて書にしたものですが、多くの方の証言が掲載されております。
この書で割愛されていた部分は「丸」を探して「くだまき」にいたしました。
「A GLORIOUS WAY TO DIE 戦艦大和の運命 英国人ジャ-ナリストのみた日本海軍」ラッセル・スパー著 左近允尚訳 1987年8月20日 初版発行 発行者 佐藤亮一 発行所 新潮社
かなりの分析を行っております。特に、アメリカ軍と日本海軍を時系列で戦闘状況を、証言他から整理しております。
「戦艦大和戦闘詳報」と「大和以下第二艦隊の記録証言」。「アメリカ軍記録」とのズレは上記、原氏が検証しております。
ラッセル・スパー氏と原氏レポートと比較し、その史実を検証するのは大変難しい。
混乱していた戦闘状況を物語っている結果ではないかと考えております。
「特攻大和艦隊 帝国海軍の栄光をかけた一○隻の明暗」阿部三郎著 二○○五年六月十三日発行 発行者 高城誠一 発行所 株式会社光人社
どうしても、大和一艦が主人公になりがちなのです。ですが、他九隻の艦の運命を世に出すべきと考えます。この書はそれを主題にしております。
慰霊祭にまいりまして、「第二水雷戦隊」のご遺族、ご生還者の人達とお会いする機会に恵まれました。先の映画「男たちの大和」でも、駆逐艦登場は少なく、との奮戦ぶりは伝わってまいりません。「くだまき」では「朝霜」「涼月」「矢矧」の話に時間をかけました。
この書と出会ったことが大きいのでした。
「軍艦矢矧海戦記 建築家池田邦夫の太平洋戦争」井川聡著 2010年8月14日発行 発行者 高城直一 発行所 株式会社光人社
尤も、最近になって発行された書です。著名な建築家「池田邦夫先生」が矢矧のあのケブガンと同一人物だったとは酔漢も知りませんでした。
長崎「ハウステンボス」の設計他、日本の建築においては重臣たる存在です。
「原為一」矢矧元艦長をして「優秀なるケブガン」と言わしめております。
酔漢自宅のそば藤沢市のご出身。そういえば、原元矢矧艦長も藤沢市鵠沼にご自宅がありました。
これも縁なのかと思いました。
「矢矧の奮戦」そして「その戦後」を見ますと、優秀な人材が海軍には多数おったと実感できます。
以下、雑誌他です
大和に関する特集は毎年何かしらの形で出ております。
父の書斎には、そのコーナーがありました。
そして、「戦艦大和会会報」です。
「かわら版」です。この号では「石田恒夫」元第二艦隊副官が会長時代のものです。
収支報告などはさすがに「主計課」出の石田会長らしく、事細かに明示されております。
ランダムになっているものを父から預かり、現在整理中です。
現在、仮設住宅が建設されました「七ヶ浜中学校」横公園奥にあります「七ヶ浜町 忠霊碑」が除幕された際の案内とそこに祭られております英霊の名簿です。
「日清」「日露」他、七ヶ浜町(村)ご出身の英霊達の名前に触れるとき、この小さな地域からも、多くの方がお亡くなりになられていることに驚きます。
一部、参考にさせていただきました。
「戦艦大和 生還者たちの証言」から写真の掲載はございませんが、「栗原俊夫氏著 岩波新書1088 2007年8月21日 初版発行」です。この書の中には、酔漢の史観と温度差が大きいことに驚きます。
「伊藤整一第二艦隊司令長官」をいたるところで「司令官」と記述され、また「候補生退艦」の場面でも「負傷兵他の退艦」を記述されてなく、初めて「大和」に触れる方にすれば、多くの誤解をお持ちになるのではないか。そう考えます。しかして、氏の取材には、敬意を表することには変わりありません。
今一度氏へ「第二艦隊は特攻していない」これは、声を大にして言いたい、酔漢です。
大和引き揚げの際「海の墓標委員会」からの会報です。
父は現場へ行きたかったようでしたが、体調も悪く、叶いませんでした。
以下、参考文献です。くだまきで使ったものです。手元に記録がなく、詳細はございません。申し訳ございません。図書館等で借りたものがほとんどです。
順は不動です。
「帝国海軍の最後―太平洋戦記」 原為一著 1967年
「戦艦大和図面集」ヤヌスシコルスキー著 (原勝一訳)
「世界の艦船増刊 戦艦大和100のトリビア」 2010年 02月号 [雑誌] [雑誌]
「写真で見る太平洋戦争 大和と武蔵」吉田俊雄著 秋田書店 昭和47年3月
「巨艦大和に死所をあたえた日本海軍最悪の日」市来崎秀丸 雑誌「丸」昭和48年1月号
「大和と運命を共にした静かなる長官」原為一 雑誌「丸」昭和42年3月号
「戦艦大和撃沈時のナゾ」堀元美 雑誌「丸」昭和42年5月号
「乗艦大和の死闘」石田恒夫 雑誌「歴史と人物」昭和56年9月増刊号
「戦艦大和誕生〈上〉西島技術大佐の大仕事」前間孝則 (下刊も拝読)
「戦艦大和の最後 5番高角砲員が綴る大和鎮魂歌」坪井平次著 株式会社光人社
「大和艦体4つに爆裂、墓標委が探索全容」昭和60年8月5日読売新聞
「男たちの大和」辺見じゅん著 昭和58年12月 角川書店
「第五航空艦隊、戦艦大和の出撃」野原一夫 雑誌「正論」昭和61年8月号
テレビ番組
「海底の大和 巨大戦艦、40年目の鎮魂」NHK特集 昭和60年8月4日放映
「終戦四十五年ドラマスペシャル 戦艦大和」市川昆 1990年8月10日放映 FNN
映画
「戦艦大和」監督 阿部豊 1953年 新東宝
「男たちの大和」監督 佐藤純彌 2005年12月 東映
まだ、まだ、手元の記録がなく、記憶だけの書他もございます。
小学校の図書館にあったものや、多くの人から紹介されたものなど。
また、父の証言などもそうです。
ネット他URLなどは、ここでの掲載は控えました。
本編にて、アクセスできるようにはしておりますが、ネットでの情報も貴重なものが多々ございました。
特に、東海大学「鳥飼先生」には大変お世話になりました。
本当に最後となりました。
ありがとうございました。
本日をもちまして「大和を語る 祖父・海軍そして大和」のカテゴリーは最終回といたします。
見切り発車、何の知識もないまま語ってまいりました。
先ほども「おせっかい焼き様」からコメントを頂戴いたしましたが、「おせっかい焼き様」程の知識がなければ、本来「語るべき内容ではなかったのではないか」と反省いたしております。
皆様の暖かいお言葉がなければ、ここまで来ることはできませんでした。
この場ではございますが、改めまして御礼申し上げます。
さて、付録ではございませんが上記の写真。「宮崎駿」ばりの集合写真です。
「戦艦比叡」
印が付いておりますのが「祖父」でございます。
時代、撮影時期など、詳細は不明です。
比叡の必殺35.6サンチがわずかに見えております。
これだけの人数が揃いますと、さすがの比叡も小さく見えてしまいます。
今回は。いくつか「くだまき」で使いました本、他資料をご紹介いたします。
「慟哭の海 戦艦大和死闘の記録」能村次郎著 昭和四十二年八月二十五日 第一刷 発行者 鈴木敏夫 発行所 読売新聞
酔漢が一番初めに読んだ大和の記録です。
「暗号翻訳」「伊藤司令長官と草鹿参謀長と同期」など、誤記がございますが、元副長の手記は、バイブルとも呼べるものかと思います。
この手記をもとにしたかどうかわかりませんが、昭和四十二年九月「読売新聞 昭和史の天皇」当時の切り抜きです。
上記、副長手記の誤りがこの新聞では訂正されております。
「戦艦大和ノ最期」吉田満著 一九七四年十月二十五日 第一刷 発行者 伊藤金吾 発行所 北洋社
最初に書かれたものを吉田元電測士が書き直したものです。
この本の記録性は物議を醸しだすものですが、「大和の顛末」を氏の視点から語ったそれは、三島由紀夫氏が絶賛したとも言われております。
しかし、やはり記憶と記録を交差させましたとき、この本の価値は別なものとなっていくような気がいたしております。
「戦艦大和」吉田満著 昭和四十二年一月二十日 再販発行 発行者 河出朋久 発行所 河出書房
「いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。その滅亡は、一つの信仰の死である。この死を前に、戦士たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春はからずも「絶対」の直面する。この美しさは否定しえない。ある世代は別なものの中にこれを求めたが、作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である」(同書210頁 三島由紀夫氏 あとがきより抜粋)
三島らしい、あとがきがつけられておりました。「一読者として」とございます。
「伊藤整一 戦艦大和に殉じた至誠の提督」星亮一著 1999年6月3日 第一刷発行 発行者 江口英彦 発行所 PHP研究所
母校東北福祉大学で講師をされておられました星先生の著です。酔漢との接点はございませんでした。恥ずかしながら、同校で非常勤講師をしておりましたが、先生のお名前はこの本を手にして初めて知ったのでした。
海軍の歴史、ロケーションなどは一部訂正したい箇所もございますが、伊藤整一司令長官のそのお人柄等はよく描かれているとそう感じました。
先生にお会いしたかったのですが、今度、母校を訪ねた際に聞いてみようかと思います。
「真相・戦艦大和ノ最期」原勝一著 2003年7月7日 初版発行 発行者 伊藤淳 発行所 KKベストセラーズ
米国防省の公式記録が閲覧解除になってすぐの書です。
これまで、明らかにされなかった記録と写真が掲載されております。
特に、「駆逐艦朝霜」の最期の写真などは、記録性の価値も大きいものだと思います。
この書「清水元副砲術長」とされておりますが、「清水元副砲長」の誤りであることは、その後の氏の著から訂正されております。
軍艦には副砲術長はなく、清水さんは「副砲の長」(15.5サンチ3連装2基→改装後)だったのです。
原氏は多くの大和に関する著を書かれておられます。
「伝承・戦艦大和<下>」原勝一著 1993年12月25日 初版発行 発行者 川島裕 発行所 株式会社光人社
「上」はレイテ以前のお話と開発に纏わる話が主でしたので、買い求めておりませんが、「森下信衛参謀」の証言などが掲載されております。
雑誌「丸」に掲載されていたものをまとめて書にしたものですが、多くの方の証言が掲載されております。
この書で割愛されていた部分は「丸」を探して「くだまき」にいたしました。
「A GLORIOUS WAY TO DIE 戦艦大和の運命 英国人ジャ-ナリストのみた日本海軍」ラッセル・スパー著 左近允尚訳 1987年8月20日 初版発行 発行者 佐藤亮一 発行所 新潮社
かなりの分析を行っております。特に、アメリカ軍と日本海軍を時系列で戦闘状況を、証言他から整理しております。
「戦艦大和戦闘詳報」と「大和以下第二艦隊の記録証言」。「アメリカ軍記録」とのズレは上記、原氏が検証しております。
ラッセル・スパー氏と原氏レポートと比較し、その史実を検証するのは大変難しい。
混乱していた戦闘状況を物語っている結果ではないかと考えております。
「特攻大和艦隊 帝国海軍の栄光をかけた一○隻の明暗」阿部三郎著 二○○五年六月十三日発行 発行者 高城誠一 発行所 株式会社光人社
どうしても、大和一艦が主人公になりがちなのです。ですが、他九隻の艦の運命を世に出すべきと考えます。この書はそれを主題にしております。
慰霊祭にまいりまして、「第二水雷戦隊」のご遺族、ご生還者の人達とお会いする機会に恵まれました。先の映画「男たちの大和」でも、駆逐艦登場は少なく、との奮戦ぶりは伝わってまいりません。「くだまき」では「朝霜」「涼月」「矢矧」の話に時間をかけました。
この書と出会ったことが大きいのでした。
「軍艦矢矧海戦記 建築家池田邦夫の太平洋戦争」井川聡著 2010年8月14日発行 発行者 高城直一 発行所 株式会社光人社
尤も、最近になって発行された書です。著名な建築家「池田邦夫先生」が矢矧のあのケブガンと同一人物だったとは酔漢も知りませんでした。
長崎「ハウステンボス」の設計他、日本の建築においては重臣たる存在です。
「原為一」矢矧元艦長をして「優秀なるケブガン」と言わしめております。
酔漢自宅のそば藤沢市のご出身。そういえば、原元矢矧艦長も藤沢市鵠沼にご自宅がありました。
これも縁なのかと思いました。
「矢矧の奮戦」そして「その戦後」を見ますと、優秀な人材が海軍には多数おったと実感できます。
以下、雑誌他です
大和に関する特集は毎年何かしらの形で出ております。
父の書斎には、そのコーナーがありました。
そして、「戦艦大和会会報」です。
「かわら版」です。この号では「石田恒夫」元第二艦隊副官が会長時代のものです。
収支報告などはさすがに「主計課」出の石田会長らしく、事細かに明示されております。
ランダムになっているものを父から預かり、現在整理中です。
現在、仮設住宅が建設されました「七ヶ浜中学校」横公園奥にあります「七ヶ浜町 忠霊碑」が除幕された際の案内とそこに祭られております英霊の名簿です。
「日清」「日露」他、七ヶ浜町(村)ご出身の英霊達の名前に触れるとき、この小さな地域からも、多くの方がお亡くなりになられていることに驚きます。
一部、参考にさせていただきました。
「戦艦大和 生還者たちの証言」から写真の掲載はございませんが、「栗原俊夫氏著 岩波新書1088 2007年8月21日 初版発行」です。この書の中には、酔漢の史観と温度差が大きいことに驚きます。
「伊藤整一第二艦隊司令長官」をいたるところで「司令官」と記述され、また「候補生退艦」の場面でも「負傷兵他の退艦」を記述されてなく、初めて「大和」に触れる方にすれば、多くの誤解をお持ちになるのではないか。そう考えます。しかして、氏の取材には、敬意を表することには変わりありません。
今一度氏へ「第二艦隊は特攻していない」これは、声を大にして言いたい、酔漢です。
大和引き揚げの際「海の墓標委員会」からの会報です。
父は現場へ行きたかったようでしたが、体調も悪く、叶いませんでした。
以下、参考文献です。くだまきで使ったものです。手元に記録がなく、詳細はございません。申し訳ございません。図書館等で借りたものがほとんどです。
順は不動です。
「帝国海軍の最後―太平洋戦記」 原為一著 1967年
「戦艦大和図面集」ヤヌスシコルスキー著 (原勝一訳)
「世界の艦船増刊 戦艦大和100のトリビア」 2010年 02月号 [雑誌] [雑誌]
「写真で見る太平洋戦争 大和と武蔵」吉田俊雄著 秋田書店 昭和47年3月
「巨艦大和に死所をあたえた日本海軍最悪の日」市来崎秀丸 雑誌「丸」昭和48年1月号
「大和と運命を共にした静かなる長官」原為一 雑誌「丸」昭和42年3月号
「戦艦大和撃沈時のナゾ」堀元美 雑誌「丸」昭和42年5月号
「乗艦大和の死闘」石田恒夫 雑誌「歴史と人物」昭和56年9月増刊号
「戦艦大和誕生〈上〉西島技術大佐の大仕事」前間孝則 (下刊も拝読)
「戦艦大和の最後 5番高角砲員が綴る大和鎮魂歌」坪井平次著 株式会社光人社
「大和艦体4つに爆裂、墓標委が探索全容」昭和60年8月5日読売新聞
「男たちの大和」辺見じゅん著 昭和58年12月 角川書店
「第五航空艦隊、戦艦大和の出撃」野原一夫 雑誌「正論」昭和61年8月号
テレビ番組
「海底の大和 巨大戦艦、40年目の鎮魂」NHK特集 昭和60年8月4日放映
「終戦四十五年ドラマスペシャル 戦艦大和」市川昆 1990年8月10日放映 FNN
映画
「戦艦大和」監督 阿部豊 1953年 新東宝
「男たちの大和」監督 佐藤純彌 2005年12月 東映
まだ、まだ、手元の記録がなく、記憶だけの書他もございます。
小学校の図書館にあったものや、多くの人から紹介されたものなど。
また、父の証言などもそうです。
ネット他URLなどは、ここでの掲載は控えました。
本編にて、アクセスできるようにはしておりますが、ネットでの情報も貴重なものが多々ございました。
特に、東海大学「鳥飼先生」には大変お世話になりました。
本当に最後となりました。
ありがとうございました。
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