酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ノグチ Ⅲ

2013-12-09 10:00:34 | もっとくだまきな話
歴史年表的には、こうです。
1911年明治44年。「梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」。英世35歳。
その年、この「純粋培養」発表の少し前、京都帝国大学より医学博士の称号を頂いております。
これは、アメリカカーネギー学院より刊行された「蛇毒」と1910年、明治43年に刊行された「梅毒の血清診断」の功績によるものです。
お話しの途中では、ございますが、これより先、1914年大正3年には「東京帝国大学理学部理学博士」の称号も与えられます。
日本での、ノグチの評価の最高位は、この二つになります。
不思議だと思いませんでしょうか。
日本の医学界での、評価は、「京都帝国大学」だけなのです。
「ノグチは元『伝研』だから」
「帝大を卒業していないから」
これがもっぱらの評価なのです。
所謂、学閥です。
ノグチの悲劇の源流は、ここに行きつきます。
考えて見ますれば、アメリカへ渡ったのも、これが動機といってもよいのです。
「日本で評価されなければ、アメリカへ渡ろう」こう考えたノグチです。
「成功し、日本の學界を自分に振り向かせる」これが、彼のエネルギーの源なのです。
勲章は出来るかがり多くあった方が良い。
ノグチの価値観は、こうなのです。
分らないではない。
酔漢はこう思います。

さて、ロックフェラー研究所は、大々的な報道をいたします。
「梅毒スピロヘーターの純粋培養に成功!世界初の快挙!」
そして、この報は、瞬く間に世界中に広まります。
「ノグチ」の名が世界中へ知れ渡った瞬間でもありました。
ノグチの論文は、淡々と描かれておりました。
自身の研究方法、その手順、そして菌の特定に至る過程。
それは、普通の論文となんら変わりはありません。
しかし、これでは不十分なことは、だれも知り得る手段はなかったのです。
例えば、「まるまる三日寝ずに、200枚のプレパラートサンプルを作成し、それを一枚一枚検証する作業」であるとか。
「雑菌が入ったら、すぐに死滅してしまうスピロヘーターを嫌気性の高い器具で手早く処理しなくてはならない」とか。
本来ならば、一番肝心な部分は、論文としては省かなくてはならない部分なのです。と、言いますか、必要のない部分でもあります。
論文が発表されると「追試」が行われます。
「果たして、研究者すべてが、その方法で純粋培養が可能かどうなのか・・」この事は非常に大きな意味を持ってまいります。
結論。「ノグチの方法を試みたが、純粋培養は不可能であった」こうした報告ばかりです。
「ノグチは本当に成功したのだろうか、疑問である」
「彼は、ウソの発表をしたのではないか」とまで。
他人が成功しなくても、ノグチ本人が成功しておればこれは成功であって、彼の業績には違いないのです。
彼の手、かれの技術。人間業とは思えないそれと、たぐいまれな、勤勉性。「閃き!」とは違ったそうした無骨とも言える、違った天才的技術。
これが、その発見に繋がったと酔漢は考えます。
ですから、誰にもまねができないのです。
ロックフェラー研究所のその後の評価をここに記しておきます。
公式なものです。

梅毒スピロヘーターの純粋培養はノグチの方法やその他三十の方法で追試してみたが、どれもうまくいかない。だからノグチの仕事を継承することはできないが、もし成功したという可能性があるとすればそれ他の三十人の誰をおいてもノグチの培養であっただろう。

現在での評価は、このノグチの結果については否定されているものが殆どです。(と言いますか、これが定説になっております)
偶然か。しかし確かに、発見に至ったのは確かなのです。
参考までに、この純粋培養は1981年「ニコラスⅠ株」による成功が複数されております。
現在の技術を駆使してようやく成功出来うるレベルで、最近標準化されたばかりなのです。

それから直ぐ、ノグチでなければなしえない発見を行います。
1931年夏。ノグチは、梅毒スピロヘーターを脳内で発見致します。

「ノグチ、純粋培養に成功したという他の研究者がいない・・・これはどう思う?」
フレクスナーは事あるごとにノグチをかばっております。しかし、やはり追試が世界的に行われなければ、ノグチの業績が認められない可能性もあります。
「腕の無い、研究者がいくら、何度行ってもムダかもしれませんよ」
いつも、この調子で答えて来るノグチなのです。
「今度は何を・・・」
「先生(フレクスナー)、梅毒患者の末期には麻痺性痴呆と脊髄癆を発症させた変形梅毒とあることは、ご存知だとは思いますが、誰一人、患者の脳内からスピロヘーターを発見できてませんよね。これを発見できたら、と。今研究中なのです」
「ノグチ、これは、まだ世界的には誰も・・・・」
「そうこの研究発表が世にでてから、もう10年近く経っているのに、だれも、患者からスピロヘーターを見つけていません。どうしてだか分りますか?『下手!』だからなんですよ!私になら見つけられます!」
「しかし、患者の遺体の脊髄だけでどれだけのサンプルが必要なんだ!一体だけでも途方に暮れるだけのサンプルが必要になって来る」
「だから、話したんですよ!だから、私にしかできないと!」
徹夜以上の徹夜が続きます。
ノグチは、15体の患者の遺体からそれぞれ脊髄や脳のサンプルを200枚一組のサンプルを作り、それを一枚一枚目を凝らして顕微鏡で探し続けております。
これも気の遠くなるような作業です。
実は、10年前から、これは理論上可能であったのです。ですが、だれも、ここまでのガッツがなかった。これだけの事だったのです。それと、ノグチの目は、彼の手が「ゴッドハンド」と呼ばれていた以上に、細菌の影を見つけ出せるほど、鋭い視覚も持ち合わせていたのでした。
何日経ったことだろう。
朝日が薄くカーテン越しに差し込んでいた時間。
「まてよ!これは!この影は!」
ノグチは、これがスピロヘーターであることを確信します。
「おい!起きてくれ!メアリー!」
ノグチは結婚しております。自宅での研究も日々日常になっております。
顕微鏡を覗かせられた細君には、一体何のことか分からずにいます。ただ、部屋中を飛び跳ねているノグチの様子を見て、何か大きな発見をしたらしい・・事だけは分るのでした。
「そうだ!先生!先生のところへ!」
この発想が常人ではないのです。
人が寝ていようが、そんな事は考えられない状態のノグチです。
ノグチはプレパラートのサンプルをポケットに入れて、フレクスナーの自宅へと向かいました。
「先生!フレクスナー先生!・・・・・先生!」
午前五時を少し過ぎた時間。フレクスナーはしぶしぶ起きだしてきます。
「ノグチ・・どうした?」
「先生!まずは、これを!これを見て下さい!」
「まさか!これは!」
「先生、早く!」
フレクスナーは、プレパラートを受け取ると、早速自身の顕微鏡へ向かいました。
顕微鏡から目を上げたスレクスナーはノグチを見て、最早興奮を隠せないでおります。
「患者の脳内からのスピロヘーターの発見!ノグチ君は、大発見だ!」
立て続けに、こう。
「これで、末期梅毒患者の精神病がTRが原因であれば、精神病が治る。こういう事になる。人類が初めて手にした精神病治療なのだ」

この業績こそが、ノグチ最大の功績だと考えます。
その後、立て続けに発表される、彼の発見は、全て覆されます。しかし、これは、確かに治療が確立され、多くの患者を救っております。
十年近く前に、確立された理論ながら、実行者がいなかった。そしてこれを、実行してみせ、実証もした。
ノグチのノグチならでは、の業績だと考えます。

その後、ノグチの発表。
1913年大正2年 小児麻痺病原体の特定。狂犬病病原体の特定。と立て続けに発表致します。
ノグチの元へ一通の招待状が届きました。
「ドイツ自然學界、医学學界より。招待状」1913年9月22日。
ノグチは、9月2日。ヨローッパへ向けてアメリカを後にします。




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3 コメント

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こんばんは (見張り員)
2013-12-09 22:47:13
ノグチの本領発揮といった感じでしょうか、何だかドキドキしながら拝読しました。
彼のように理論を実行する人間がいなかったらさまざまな治療法もずいぶん後年にならなければ確立できなかったかもしれない。そう思うとノグチは偉大だなあと思いますね。
ちょっと変わったやつ、と思われるような人こそが研究の世界では大ごとをなすのでしょうか。

さあ、ヨーロッパでのノグチが楽しみです^^。
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見張り員さんへ (酔漢です)
2013-12-19 18:39:37
今晩は!コメント遅れました。
いよいよ欧州へ旅立つノグチです。
ここで、ノーベル賞候補になっている事を知ります。
このヨーロッパでの行動が、帰国へと繋がります。
年明けになりますが、宜しくお願いします。
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英世記念館 (ひー)
2013-12-31 13:25:43
今年、グズラ氏や同級生と修学旅行でいった、この英世の記念館ですが、英世の喋る、蝋人形見たいなものがあって、英世のセリフに「わたしにはわからない!」とありました。
英世自身が病に侵され亡くなってしまったのは、ご承知の通りです。
発見できなかった訳ですね。
当時の顕微鏡では、細菌を見つけるのがやっとでしたからね。
ウイルスは見えなかったのでしょう。

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