えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

151112-4

2015年12月03日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 家に帰ると母は霊柩車からタンカごと降ろされ、庭にいた。葬儀社の二人はてきぱきと動く。母を2階まで狭い階段をおぶるようにしてあげた。妻と先に病院を出た妹が白いシーツの布団を敷いてくれていて、母はそこに寝かされた。母を覆っていた白い布はを葬儀社の二人がほどいてちょこちょこっと動作すれば布団になった。あの病室で体の上に銀色の装飾の入った掛け布団がかぶせられた母をその掛布団ごと顔まで覆うように白いシーツで巻き、それを我が家でほどいて布団の上に乗せた。そんな風だった。母はあっという間に死に旅への白い布団に寝かされ、枕祭壇もいつの間にか出来上がっている。流れるような『作業』。その『作業』を終えると、少し葬儀の打ち合わせをする。通夜は翌日午後7時から、葬儀告別式はその翌日の午後11時半からと書かれた紙を渡される。そのスケジュールで焼き場を抑えたから、お寺さんに確認してくれ。確認できたらすぐに訃報を作ってFAXすると。そして3時過ぎに打ち合わせに来ると言って帰って行った。それまでに参列してくれそうな親類の数を勘定しておいてくれと言い残して。

 入れ替わるように、お寺さんがきた。妻が少し前に電話を入れてくれていた。枕経をあげてもらう。お経が終わると葬儀の話になる。父が「三か寺」にしてほしいと頼む。我が家は浄土真宗本願寺派、俗にいうお西さん。お寺は隣町布施の明専寺。導師を明専寺の住職が務め脇導師の一人は同寺の僧侶。もう一人の脇導師は父の親戚筋に当たる西願寺に頼むことになる。父がさらにお布施はどれくらいですかと何度も尋ねるが、住職は「お気持ちで結構です」を繰り返す。結局、葬儀社に最後は相場を尋ねてそれなりに決めることいなる。通夜、葬儀の時間も了解を得たので、葬儀社さんに知らせる。

 我が家に加え姉、妹家族もいて、お昼は近くのそば屋からうどんやどんぶり物の出前で済ます。私はどうしても済まさないといけないたまった仕事、香港・中国のメーカーとのメールのやり取りや、葬儀社に言われた親類の書き出し、それにお昼過ぎには叔父らが弔問に来てくれてその応接と、やっと午後3時前に昼飯を頂く。それを食べている最中に再び葬儀社がきた。
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