TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

明石海峡公園2024年5月その7

2024年05月29日 | 旅日記

5月15日、明石海峡公園を散策したときの続きです。花の丘道を歩いて東浦口ゲート付近まで歩いて行きました。

クリスマスローズ

この付近まで歩いて来ると通り雨が降ってきました。すぐに止みましたけれど、数分降っていました。

ノリウツギ

いろいろな花々を撮影しながら歩いて行きました。

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びわ湖バレイ2024その3

2024年05月29日 | 旅日記

5月25日、びわ湖バレイを散策したときの続きです。ほうらいリフトに乗車して蓬莱山の頂上まで向かいました。

ほうらいリフトに乗車していた間は風は強めでしたが、打見リフトほどの強風ではありませんでした。けれど、この付近は標高が高いので少し寒いと感じるくらいの気温でした。重ね着していなかったらもっと寒く感じたでしょうと思いました。

この日は晴天のお天気でしたので、視界良好でした。リフトに乗りながら景色を楽しみました。

比良大神奥神社が山頂付近にありました。

蓬莱山山頂に着きました。蓬莱山は標高1174メートルです。

三角点

南方向には比叡山や京都市街が見えていました。

彼岸の鐘を鳴らしてきました。

蓬莱山の山頂から乗車してきた打見リフトや打見山が一望できました。伊吹山も見えてました。

蓬莱山山頂に設けられていたアーチ型のテラス

プレミアムシートがありました。空いていたら自由に利用できるシートでした。

琵琶湖を一望できる絶景を堪能できるスポットでした。

午前10時半頃でしたが、作ってきたお弁当で早めのお昼ごはんをいただきました。雄大な琵琶湖を眺めながらのお昼ごはんは美味しかったです。気分も爽快でした。

ゆっくり休憩した後、リフトを乗り継いで下山することにしました。

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海の中道海浜公園その3

2024年05月29日 | 旅日記

5月11日、海の中道海浜公園を散策したときの続きです。フラワーミュージアムで咲いていた花々を見歩きました。

カンパニュラ

ジプリフィラ

バラ園の近くに自転車を止めて歩いてきたのでバラ園まで戻りました。

 

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5月28日

2024年05月29日 | ひとりごと

昨日・5月28日は雨の1日でした。前の日の真夜中からよく降りました。雨だったのでどこにも出掛けずに終日自宅で過ごしました。気温はそれほど高くなかったけれど、蒸し暑かった1日でした。

昨日、父が釣りのために何十年か借りていた串本の部屋の撤去をしていただいたという電話が大家さんからありました。大家さんは昨年変わられたところで、リフォーム会社を経営されている方でしたので、今回、私が出向いて部屋に置いたままの父が遺していたいろいろなものを片付けて処分して撤退しないといけなかったのすが、すべて請け負っていただいて片付けて撤退していただきました。本当に助かりました。家賃を2年後くらいまでまとめて振り込んでいたのでその家賃の前払いしていた代金ですべて賄っていただいてまだ返金があるというお話も伺い、残金の振込先をお伝えしました。

数日前に部屋に残していたいろいろな物の写真を送って下さっていて、その写真を見ると父が串本の部屋で楽しそうに過ごしていたときのことを思い出しました。串本にあったものはすべて自宅にあったもので必要なかったものなどで、いろいろな物の写真を見ると懐かしかったです。

父は串本によく釣りに行っていました。最初の頃は旅館や民宿に泊まっていたのですが、家賃がそれほどかからなかった部屋を見つけて、弟に当たる亡き叔父の車で布団や食器棚やお膳やこたつ、釣り道具などのいろいろな物を運んでもらい、この串本の部屋で長いときは1週間くらい滞在して釣りを楽しんでいました。叔父が亡くなったときも串本に滞在していて、電話連絡で叔父が亡くなったことを知らせたのを思い出しました。父が串本に行くときには家からも寄り駅まで歩いて向かっていたのですが、自宅から見える橋の上で振り返り、ベランダから見送っていた母と私にいつも手を振っていたのを思い出しました。串本に行くときは父は本当にいつも嬉しそうでした。

串本のこちらの部屋には母と私も何度か泊まって釣りをしたり、橋杭岩まで行ったり、袋港まで行ったり、大島の水門まつりに行ったり、あるときは皆自転車で古座にあった一枚岩まで行ったこともありました。オークワで買い物をよくしましたし、さんごの湯にもよく行きましたし、串本に行くといつもお世話になっていたホテルからこちらの部屋に寄って滞在したことも多々ありました。

亡き叔父たちや父が勤めていた会社の元同僚の方々もこの部屋に泊まって釣りなどをしたこともあった父にとっては思い出の場所のひとつだったところでした。その懐かしい串本の部屋にもう出向くこともなくなったので、一抹の寂しさを感じた日にもなりました。

昨日、ある不動産会社から今住んでいる自宅を買いたい人がいるので売りませんかという手紙が届いてました。二回目です。外壁塗装もしていろいろ手直しして暮らしているのに売ることなんて考えていないのでその不動産会社の人はなんて失礼なんだろうと思いました。不動産会社のお客さんは大事だけれど、売れと言われている自分のことは二の次にしか考えていないということがよく伝わる文面でした。失礼を知りながらと冒頭に書かれていたけれど、言葉だけで失礼とは思っていないからこんな手紙を送れるのだろうと想像しました。この不動産会社は今は空き家になってしまっている隣家が関連している不動産会社と同じところだったので、普通なら住んでおられないほうの同じ条件の隣家のほうに売りませんかという連絡があっていいと思うので、見当違いかもしれませんけれど、たぶん隣家が関係しているのかもと想像しました。何があっても騒音を真夜中に立てても平気な隣家の人だけには売りません。

今日は晴れみたいなので菖蒲園に行ってみようと思っています。

 

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