泣いたあとは、新しい靴をはこう。 日本ペンクラブ 編 ポプラ社
44名の作家による作家による人生相談の本です。10代のいろいろな悩みに向き合い、それぞれの作家の方々の体験談や人生経験から回答されていました。人それぞれ考え方は違うのでしょうが、44名の作家の方々からの熱いメッセージが込められているような数々の言葉は深くて優しさを持っている言葉もあり、中には厳しくて辛辣な言葉もあったり、10代の若い世代の方々自らが考えて行動するためのヒントになるかもしれない内容の本でした。
泣いたあとは、新しい靴をはこう。 日本ペンクラブ 編 ポプラ社
44名の作家による作家による人生相談の本です。10代のいろいろな悩みに向き合い、それぞれの作家の方々の体験談や人生経験から回答されていました。人それぞれ考え方は違うのでしょうが、44名の作家の方々からの熱いメッセージが込められているような数々の言葉は深くて優しさを持っている言葉もあり、中には厳しくて辛辣な言葉もあったり、10代の若い世代の方々自らが考えて行動するためのヒントになるかもしれない内容の本でした。
昨日は、叔父宅の固定電話を解約するための書類を提出するために、必要書類の詳細を再度電話で確認しました。固定電話の契約が30年前に亡くなった祖父の名義だったので、手間が掛かりました。祖父が亡くなったということが記載されている書類や申請者との関係が証明されている書類が揃ったので、コピーをして、封筒詰めして後は送付するだけになりました。やれやれです。
職場で見つかった50年前に購入されて1回も使用されずに新品だった物品を来週使用することになり、同僚が準備されてました。50年前と言ったら昭和45年。「万博の年ですね。」と言ったら、その場にいた人たちはみんな若かったのでまだ生まれていなかった方々ばっかりでした。今の職場ではもう最年長組になる年齢になっていたのを昨日は実感しました。
偶然入ったスーパーで、マスクが売られていたので、買って帰りました。一人2箱まで買えました。大阪市内でも、マスクが売り切れているところが多いので、まだ手に入りにくい状態が続いています。
昨日の新聞に、中国からのお客さんが減っているという記事が大きく掲載されていました。電車の中で、中国からのお客さんを見かけるのは確かに以前よりは、少なく感じましたが、先週土曜日に大阪城公園に出掛けたときはそれほど少なくなかったような気がしました。場所によっても違うのかな~と思いました。
昨日の晩御飯は、うどんすきをしました。少し、寒かったので、暖まりました。今日は、朝起きたとき、部屋の気温が5度しかありませんでした。今は9度になっていますが、日中も気温が上がらない寒い1日になりそうです。
樹木希林120の遺言 樹木希林 著 宝島社
2018年に亡くなられた女優樹木希林さんの名言集。『一切なりゆき』は以前読んだことがありました。『一切なりゆき』の本に記載されていたのと同じような印象を受けた本でした。樹木希林さんが、潔く、自然体で、人生を楽しんで生きて来られたということがよく伝わってきた本でした。図書館で見かけて、あっという間に読んでしまいました。一番最初の言葉、「幸せというのは常にあるものではなくて、自分で見つけるもの」という言葉は他の方が書かれていた本にも同じ内容のことが書かれていたなあと思い出しながら読み始めました。『一切なりゆき』が2019年ベストセラーの1位で、この『樹木希林120の遺言』が5位で、2冊とも昨年の年間のベストセラーの5位までに入っているというほど多くの方々に支持された本でした。多くの方々に支持されたのは、樹木さんの思いから発せられた生の真実が籠っていた言葉だったからかもしれないなあと思いました。
月曜日から右手の小指が痛いなあ、なぜかなあと思っていたら、思い出しました。日曜日の晩に、ホットプレートでお好み焼きをして、鉄板の端のほうを触ってしまってやけどをしていたからでした。触った後すぐに小指を水で冷やしました。それで治まっていたかと思っていましたが、後日になってから小指の痛みを感じました。小指が痛くなって初めて、普段、小指も使っていたんだな~ということを実感します。パソコンのキーボードを打つときや何か物を取るときや字を書くときなどなど、普段、小指も動かしていたんですね。一昨日、同僚が突然自分が常駐している部屋に来られて、昨年の11月に使用した物品を探しに来られました。どこにしまっておいたか、すっかり忘れてしまっていました。しまっていたと予想される場所をあちこち探してみたら、こんなところに入れていたんだと思い出しました。昔はちゃんとどこにしまったか覚えていたのに、記憶が飛んでしまっていました。昨日、久しぶりに、ためてしまっていた仕事をしました。もうすぐ年度末なので、年度末までにしておかないといけない仕事もそろそろ取り掛からないといけなかったことも思い出しました。今年度、11月以降、仕事をしていても、なぜか宙ぶらりんの精神状態で心ここにあらず状態の自分がずっといたのも反省しました。今年の年度末には、例年と違っていろいろな物品がある場所から移管され届くことになっているので、その仕事が、増えることになるのも忘れてしまっていました。忘れていたことが多かったのも、仕事に向き合っていなかった証拠かなと思いました。来年は今まで長い間やってきた仕事の最終年度になるので、もっと気を引き締めてやっていかなければいけなかったです。
今日は立春。「卵が立つ日」の論説文を高校の国語の授業のときに読んだときのことをいつも思い出す日でした。今週の大阪は平年並みの気温になるという予報で、今年一番の寒さがやってくるらしいです。職場の殺風景な部屋に昨日、近所のスーパーで買ってきたチューリップとスイトピーを飾りました。今週は部屋の中だけでも春を感じて過ごせるかな?
昨日は、節分でした。スーパーに出向いたら、例年よりもたくさんの恵方巻が売られていました。
カニが入っていたのと穴子が入っていた恵方巻きを買いました。この日、スーパーの恵方巻売り場に並べられれていた恵方巻の多さにびっくり。それを買い求めておられるお客さんの多さにもびっくりしました。節分の日の晩御飯だけは、各家庭同じメニューが多い日なのでしょうか?我が家では、いわしを焼いて、後お造りと唐揚げを買って、チンするだけでいい茶碗蒸しでこの日の晩ご飯にしました。この日は全部店屋物でした。だんごが安かったので晩御飯の後にいただきました。素朴な味で美味しかったです。
昼休み、職場の近くの銀行に出向いて、叔父の預金の書類を4回目でやっと受理していただいてほっとしました。やれやれです。叔父宅の固定資産税の変更の書類と固定電話の解約のための戸籍謄本の書類の申請書を郵便局から送付しました。戸籍が他府県にあると郵送で依頼しないといけないので結構大変でした。固定電話の所有権が30年前に亡くなった祖父のままだったのもびっくり。叔父たちが何の変更手続きもしていなかったのも叔父たちらしい行いだったなあと思いました。しなければいけなかった叔父宅のいろいろな用事が少しだけ一段落しました。一昨日、液晶が壊れたカメラを電器店に持って行き、修理依頼したら、部品があれば2週間くらいで直していただけるようでよかったです。5年間の延長保証は1回だけしか利用できませんが、延長保証しておいてよかったのかもしれません。日曜日だったのに、梅田の大型電器店は、ガラガラでした。おかげで、ほとんど待たずに修理の受付をしていただきました。最近は液晶が壊れたほうのカメラばかりで撮影していましたが、もう1つの小さなほうのデジカメを買っておいてよかった~としみじみ思いました。小さなカメラで今日掲載の写真は全部撮影しました。しなければいけなかったことを全部し終えたらやれやれと近所のスーパーで買った花々を眺めてほっとしていました。夕方、同僚が私の部屋にやって来られて次週の仕事の話をされました。ほっとできたのもつかの間で、来週は、ちょっと忙しくなるみたい。突然の仕事は、もう慣れてしまっていたので、なんとも思わなくなってしまっていた自分を発見。後1年だとすべてに寛容になれるんだ~と思った節分の日でした。
2月1日、この日は寒い1日でした。大阪城公園を午後から散歩してきました。
毎週必ず出会うジョウビタキのオス
シメ
シロハラ
公園入口の花壇
一昨日、カメラの液晶が壊れました。液晶だけだったようで、壊れた後も、写真は壊れる前と同じように撮影できました。でも、修理していただくことにしようと、昨日依頼してきました。しばらくこのカメラでしか撮れない鳥は撮影できないですね。
2月1日、大阪市内は少し寒かった1日でした。昼から大阪城公園の梅林に寄ってきました。
上から全体を眺めたらこんな感じでした。
先週に比べたらだいぶん咲き出してきていました。
下の2枚の写真は2004年3月1日に撮影した写真です。
16年前の梅林はこんな感じで咲いていました。
一昨日、武漢からの日本へ来られた団体の観光客を乗せておられたバスの運転手さんとそのバスに乗っておられたバスガイドさんが新型コロナウイルスに感染されておられたというニュースが報道されていましたが、そのバスガイドさんが大阪の方で大阪の観光地なども行かれたらしいとかその行動範囲が公表されていた途端に、大阪の街中や電車の中など、マスクをされている方々が急増してたのを実感しました。だいぶん前のSERSのときみたいに、マスクの着用率が半端なく上がっていて、近所でマスクを買おうと思って、売られているお店を何軒かハシゴしましたが、どこにもなくて、売り切れていました。自宅に、まだマスクは2箱くらいありますが、大事に使わないといつ手に入るのか今のところわからない状態です。3次感染も確認されたそうなので、新型肺炎の広まり方は凄まじいので、恐ろしいですね。WHOは昨日非常事態宣言を発表されていましたが、遅いのと違うのかなあと思いました。感染しないように一人一人が手洗いなどに気を付けて予防するように努めることや人混みにできるだけ行かないようにすることくらいしか方法がないみたいなので、今後の広まり方がどうなるのか心配です。
半年前に亡くなった叔父の住まいや遺品などまだまだこれからやっていかねばならないことがたくさんありますが、その前にやっておかなければならないことができました。月に2回ほど、依頼している司法書士の事務所の方から進捗状況の報告の電話連絡を受け、いつでもいいですよと言われていたものの、その言葉を鵜のみにしていて、ずっと後後に回していました。電話口で、「さりげなく、もう書類は集めていただきましたか?」というお声がけに、「まだなんです。」と答えたものの、もうそろそろしておかねばいけないなあと重い腰を上げて動き出しました。亡くなった叔父の兄で14年前に亡くなった叔父の分の書類をも提出する必要が出てきて、二人の伯父の長兄である父の代わりに、やらざるを得ない状況でした。自分しか動ける人がいないので、先日、父の代わりに、銀行や郵便局に出向きました。預金の残高証明書をもらうにも銀行によって手続きのしかたや必要な書類が違いました。それぞれの申請時に必要な書類を書き留めておいて、先に代理で手続きを済ますことがわかった職場の近くのある銀行に何度か先日出向いてきました。2度くらいで全部済ませるのかと思っていたのに、今までに3回も出向かないといけないことになりました。1回目は、銀行の奥のほうにあった、テレビ電話で、叔父の住所や生年月日などを答え、残金を調べていただいて、申請のしかたなどの手ほどきを受けました。2回目は、代理でいいということだったので、小さな文字で書かれていたので、高齢の父が書きにくいと思って自分が申請種類に記載して提出したら、父本人が記載しないといけないということで、再度出直すはめになりました。3回目、自宅で、父にここはこう書いてとひとつひとつ説明しながらやっとこさ記載が終わった申請書類を提出したら、受理してもらえると思っていたのに、だめでした。叔父の漢字は新字体で、父の名前の漢字が証明書と同じ旧字体の漢字でないといけないということで、また書き直して来ないといけないことになり、来週早々申請に行こうと決めたので、昨晩、また、父に書き直してもらいました。漢字どうやったとか、非常に長い時間が掛かりましたが、やっと書き終わりました。4回目、受理してもらえますようにと今から祈っています。
また、4月頃叔父宅に届くであろう固定資産税の送付先を変更してもらうために問い合わせたら、書類を送っていただいたので、その用紙にも父本人が記載しないといけませんでした。この用紙にも時間を掛けて昨晩、やっとこさ記入が済みました。
後は、叔父宅の固定電話に掛かる費用を自分の口座から引き続き引き落としていましたが、もう利用することもないだろうし、経費ばかり掛かるので、解約してもらおうと問い合わせたら、姪の申請ではだめで兄にあたる父から申請する必要があるということでした。父に電話して解約してもらう手続きを取る必要がありました。父にどう答えたらいいかとか側にいて説明しないといけないのでちょっと大変ですが、この件も土日に済ませることができればいいのですが・・・・・・。