〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

モノロジカル

2006-04-12 | Weblog
ハラ減った。
先日も書きましたとおり、文字通りの不肖わたくし、サングラハ教育・心理研究所の機関誌『サングラハ』の編集をやっておりまして、現在その作業が詰めに入っております。

仕事は抜けていることが多いにもかかわらず、こういう作業では細かいところが気になってしょうがありません。「木を見て森を見ず」となっているのではないかと心配です。
また注意深くやっているつもりで、やはり端から見ればいろいろ抜けているところがあるのかもしれない。さらに「これは俺がやるべき作業」みたいに抱え込んで人のよりよい意見を聞けなくなったら本末転倒だ。そういう意味で、読者の声とかが聞けるといいのですがね。現状、自分のライフスタイルそのまんまの、孤独な作業となってしまっています。
あと、なにかを一度始めるとなかなか抜け出せなくなる癖があり、きょうもこの作業で夕食を食べるのを忘れています。というか買いに行くのが面倒くさい。
これを「寝食をわすれて」というととても聞こえがいいですが、自分にとってはそういうふうに没頭するだけなら対象は何であってもいいようで、一方でまったくもってどうでもいいことにも延々と時間をかけることができたりします。で、あとで不毛な自己嫌悪に陥ると。
この粘着気質ぶり自体はよくもわるくもないということなのでしょう。

でもどうせ没頭するのなら、なにか意味と価値のあることに時間を使いたいもの。そういう意味で、体裁はともあれ、この雑誌のメッセージにはすごい価値があると思います。ほかにこんなことを言っている雑誌があるのだろうか? ま、自分の狭い視点、文字通り“管見の限り”で、世界にはもっとすごいのがあるのかもしれないが、しかしこの日本ではたぶんないだろうな。どうなんだろう?

「自分の時間が大切」とかいってどうでもいいことをダラダラとやって休日昼の13時までねているよりは、なにか熱中できるものがあるというのはひじょうにお得なような気がしてきました。しかしこれまでの人生、熱中できるものなんて無かったな。漫画くらいか。

自分も人並みに環境問題とかがひじょうにやばいという感じで気になるのですが、それに対して個人でできる環境配慮行動って、コンビニでビニール袋を断るとか(でも過剰包装の品物を買い込む、と)、なるべく自転車を使って外出する(でも仕事はバス会社)とか、結局そんな程度の“ちょっといい人を演じる小市民”に終わってしまうような気がします。で、そういう小市民が形成しているこの環境をダメにしていっている社会のシステムというのはまったく変わらずに動き続けると。

だから、この雑誌を出すことは、大げさではなく、そんなどうかしてしまっているこの社会のシステムを動かしているみんなの内面、つまり文化をなんとかよりマシなものにするために、自分のできることではかなり意義のあることだと、根拠をもって信じています。

そういうわけで、百均コンビニに食糧を買いに行かねば。
寝る前に甘いものを喰うのは控えたいのだが、ついつい買ってしまうだろうな…


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