〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

オレの壁

2006-04-14 | Weblog
よく「彼は心に壁を作っている」という表現がされることがあります。

それは多分にネガティブなニュアンスを含んでいます。閉鎖的でなにを考えているのかわからないつきあいの悪いやつ、というような感じでしょうか。

自分に関して、人と接触するときにそういう壁をつくっているのを感じます。
身構えて防衛し、なるべく当たり障りのないようにやり過ごす。挨拶なども、なんだかそれをしなければヤバイからする、みたいに身を守るためにやっているような気がします。ひじょうに下手くそな自己防衛をやっているようで、なんだかすっきりしません。

といって、そういう壁なしに人間はやっていかれものでしょうか?
どういう形にせよ、そういう壁による区別が存在しなければ、自分を保つことが難しいのではないかと感じます。それがないと人間関係の中で心が拡散してしまい、社会生活がやっていかれなくなってしまうからです。
適切に心の壁が築けていなかったために、そもそも人中でどうふるまっていいのかわからないということを、かつて体験したものです。なかなかつらいものです。

この心、つまりふつうの自我意識というのは、ある意味そういった“壁”そのものに形取られたものであるように感じます。それによって他の人と分かれた自分でありうると。
自我の確立というのは、そういう心の形・壁・自己防衛をしっかりできるようになることなのだなと、この歳になって感じることです。

だから問題は、壁の存在そのものではなく、壁がムダに分厚かったり高かったりトゲトゲしていたりすることにあるのではないかと思われます。
それがこうじて他の誰も入れさすまいと要塞ばりに引きこもって籠城したり、外に出ても戦車のように分厚い鋼鉄の装甲ごしに一方的に攻撃するようなコミュニケーションになったりと。

自分のは、ちょっとそういう問題のある壁なのではないかと、最近よく気づかされます。
ではただ壁をぶち壊せばいいのか。それもまたちょっと違うような気がするのです。

いかんいかん、やらなきゃならないことをそっちのけでまたこんなことを…もう寝なければ! 以下次回。
試験前日にみょうに読書とか部屋の掃除とかがはかどるような、そんな感じだ…


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