〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

思考は現実化するかも

2006-06-03 | Weblog
すごい夜中に書いていますが、明日は遅番で昼から出ればいいので楽勝です。夜更かしは好きです。
しかしちょっとさびしいので音楽で紛らわせます。「加藤隼戦闘隊」です。じつに勇ましい。

戦闘機といえば、かつてドイツ空軍(Luftwaffe)にはメッサーシュミットBf109と、フォッケ・ウルフFw190という二系統の主力戦闘機がありまして、その開発と変遷-進化の物語がなかなか
というような無意味な話はやめよう。

わけあっていま、「願望実現瞑想法」のまとめというか勉強というかをやっています。
ナニソレ・・・あやしい、という感じがするかもしれませんが、たしかにそのとおり、ふつうにいえばきわめてあやしい世界のお話です。
心から抱いている願望を、もっぱらイメージや瞑想という内面的手段によって実現しようというのですから、常識から言えばなんちゅうバカなおとぎ話、ということになるでしょう。

しかし、どうもそうともばかりいえないのではないかという気がしてきました。詳しく書いている時間はありませんが、一つはどうも実際に大成功した人とか、深い宗教家とかというような、いろんな分野の信頼できると思われる人たちが、一様にそういうふうな不思議な体験を報告しているからです。

しかも歴史を通じて、文化横断的に、そういう一見常識を超えた現象が報告されているということは、少なくともそういう体験はたんなる主観として一笑に付すことができないリアリティを持っていることを示しているのではないでしょうか。
常識のほうが現実にあっていないということは、歴史を通じてずっと証明されてきたことだと思います。いまの常識が現実のすべてに違いないというのは、考えてみればあまり根拠のない話です。

あと、人間の深層心理はふつうに想像されているよりもはるかに深いのではないかということ。無意識が単に個人的なものにとどまらず、集団的・集合的、さらには宇宙的な深みまで到る可能性を持っているということは、やはりそうした体験の数多くの証言を信頼する限りは否定できないようです。

その他にもあるのですが、ともかく、この世界、そしてこの私たちの心というのは、現行の支配的な科学的物質主義が「はいこの程度」と切り取っているのよりも、意外に広く深いということにはかなりの説得力があるように感じます。

そもそも、「そんなの科学的でない!」というある種の感情的拒絶は、じつは科学以前の態度であったはずです。
科学とはなにがより真なのかを証拠に基づいて検討するという方法論なのであって、ある段階の経験主義的な科学的知識が世界のすべてを説明するというのは、そういう視点から見れば特定の信念と世界観の表明に過ぎないといえます。

願望実現に戻りますと、ポイントはせせこましい自我意識を超えて全体の方向性のほうに願望をあわせること、願望が深いところに届くように深く思って信じること、心を沈黙させる瞑想をすること、ということのようです。

実際あやしげなのも多いとのことですが、中には一級の方法論があるようです。著作が信用できて効果も高いのは、ディーパック・チョプラ、ナポレオン・ヒル、シャクティ・ガーウェインといったところらしいです。そのいずれもがほぼ同じようなことをいっているのは興味深いですね。

これはぜひ実行したいなと思いました。実現させたいのは当面二つあるのですが、それは秘密です。

環境問題をなんとかするのも、これがけっこういけるかもしれません。ただし人には黙ってやると。


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4 コメント

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私もあり得ると思います。 (北海道のM)
2006-06-04 12:53:31
 とても興味深いお話でした。私はもちろん低いレヴェルでの「あれがしたい、これがしたい」ということはあるのですが、未だに自分が生涯を捧げて達成したいというような願望(+使命)が判らなくて途方に暮れている所です(→ちょっと大袈裟)。軍曹殿がいつもご自身を叱咤激励されている様を拝読していると、自分もいい加減に気合を入れなければいけないのになぁ、と思う今日この頃です。

 

 むか~し読んだダラニ(密教の呪文)に関する論文に「言葉とはただ(平均的な普通の人である)凡夫の耳を誑かすのみのものである」というようなことが書かれてありました。要するに(心の中の)言葉による分析知(意言分別ってこの意味で良いんでしょうか?)で私たちは世界を歪めて解釈しているが、(修行の進んだ)菩薩は無分別智によって世界のより精確な姿を観ている、と言いたいのだと思います。それで自分は誑かされないようになろう!と思ったのですが、よくよく考えると(そんなによく考えなくても)、そこに至るまでには長年に亘って禅定の修行をしなければいけなかったのですね。で、最近は論理療法を参考にして、先ずは同じ誑かされるにしても、非合理的に世の中や自分を悲観的に感じるようにではなく、明るい面をしっかりと見つめられるように誑かされるような言葉遣いをしていくと良いのではないかと思うようになりました。何しろ、我等が愛すべき祖国は「言靈の幸ふ國」なのですから……
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お久しぶりです (マザー)
2006-06-04 23:16:41
Mさん、お久しぶりです。

ずっと前にチョプラの本をテキストにした講座を受講しました。私を含め受講者2名という経験したなかで最小人数の講座だったのがもったいないくらいおもしろかったです。

怪しさも全然ありませんでした。(講師がそういうことに細心の注意をはらう人ですからね。懸命なことだと思います。)

Mさんの願望とはなんだろうと秘密だとつい想像してみたくなります。ムフフフフ

叶ったら良いですね。
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Unknown (M軍曹)
2006-06-05 23:01:25
コメントありがとうございます。



北のMさま、おひさしぶりです。お元気そうですね。持ち上げていてだくと、ちょっと木に登りそうです。

激励になればいいのですが、叱咤叱咤となってしまいがちで、気をつけたいと思います。おたがい気合でがんばりましょう。



分別智の幻想というのは、まったくそのとおりですね。しかし覚ってみないことには、これが幻であり誑かしであるということが、なかなか心からはわかりにくいものがあります。

同じ誑かされるならいいほうに誑かされたほうがマシだし有効とのこと、ほんとうにそう思います。だったらより現実にあっていて、お得で、できればより美しい、そんな呪文にかかりたいものです。

あと、まちがっても「どーせすべては幻想で魔法なのだから、そんなもの捨て去って本当の自分の生を生きるのだ」みたいな、もっともらしいけれどもそれ自体自己矛盾的な幻想には陥りたくないものです。

ともかく、坐禅は必須ですね!

>言霊を幸ふ国

意味深ですね。それがわが国の伝統なのでしょうか?すばらしいですね。





マザー、おひさしぶりです。

もったいないくらいの講座、それは私も参加したかった。いつごろだったのですか?

たしかにあやしさはないですよね。テーマはある意味じつにあやしいのに。語りかたのせいかな?

願望は世界征服です。



それは冗談で、やっぱり秘密です。

マザーはいかがでありましょうか?





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まだ私が・・・・ (マザー)
2006-06-06 23:04:02
あれは2000年くらいでしたかね。MさんやS藤君が受講生の平均年齢をボワンと下げるちょっと前でまだ私が若い方に分類されそうな頃ですね。(ワハハハ、笑わば笑え!)



なんとMさんの願望は愛で世界征服ですか。それならおもいっきり誑かされたいかも。

私の願望はやっぱり秘密です。照れくさいですね。とりあえず、おもいっきり誑かされることと表記しておこうっと。
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