5.焦土からの再建
しかし取り組み次第で、私たち〈ロストジェネレーション〉が、世代一般の特徴と描写された「ダメ」を克服し、社会の現状を変革する力となることは、可能性としては大いにありだと根拠を持って言いたいと思います。
おそらくいうまでもなく、この日本の社会の将来は、そして後に続く世代の安心は、主体として今後その中核を担っていく私たちが希望=ヴィジョンを持ち、それにもとづいて適切な責任的行動を取れるかどうかにかかっています。
それは、事ここに至ってしまっている社会の現状に対して、「希望なんていったいどこにあるの」と自分たちの判断を押し付けて不安にさいなまれたり、「こんな社会に誰がした」と犯人探しをしたり、「責任なんてカンケーない」と居直りひねくれてみせることでは、もちろんなし得ない課題に違いありません。
たしかに、嘆き節・恨み節にはもっともな理由がある…と言いたいところです。
何より私たちは元気に生き健全に成長するためのアイデンティティの根拠を、最初から競争主義的・教育的に剥奪され(というか与えられず)、しかも気づいたときには先に赤信号を見ながら危機に向け加速し驀進する社会‐世界の中に放り出されてしまっているのですから……。
内に外に事態をここまでに至らせた先行世代の所業には、ちょっとくらいは愚痴を言うのも許してもらいたいというものです。
そんなふうに後ろを振り返りわが傷をなめることも、時には必要かもしれません。
また心のわだかまりが言葉としてしっかりと表出され、誰かに受けとめてもらえるのなら、セラピー的に癒されるという効果もまたあるでしょう。
が、それ(だけ)がここでの目的はではないのです。
単なる愚痴は、それにどれほどもっともな理由があろうと結局嫌われるだけですし、何より現状を変えようと行動する意欲を損なってしまうからです。
そうではなく、必要なのは前進です。
いわば世代的なハシゴを外されてしまった私たち〈ロストジェネレーション〉がいま克服を求められている課題とは、ロストしたままとなっているアイデンティティの根拠を新たに取り戻すこと、それを通じての内面的な回復‐成長‐変容であり、そしてそのエネルギーによってはじめて可能になる社会的行動だと、そう思われてなりません。
(つづく)
しかし取り組み次第で、私たち〈ロストジェネレーション〉が、世代一般の特徴と描写された「ダメ」を克服し、社会の現状を変革する力となることは、可能性としては大いにありだと根拠を持って言いたいと思います。
おそらくいうまでもなく、この日本の社会の将来は、そして後に続く世代の安心は、主体として今後その中核を担っていく私たちが希望=ヴィジョンを持ち、それにもとづいて適切な責任的行動を取れるかどうかにかかっています。
それは、事ここに至ってしまっている社会の現状に対して、「希望なんていったいどこにあるの」と自分たちの判断を押し付けて不安にさいなまれたり、「こんな社会に誰がした」と犯人探しをしたり、「責任なんてカンケーない」と居直りひねくれてみせることでは、もちろんなし得ない課題に違いありません。
たしかに、嘆き節・恨み節にはもっともな理由がある…と言いたいところです。
何より私たちは元気に生き健全に成長するためのアイデンティティの根拠を、最初から競争主義的・教育的に剥奪され(というか与えられず)、しかも気づいたときには先に赤信号を見ながら危機に向け加速し驀進する社会‐世界の中に放り出されてしまっているのですから……。
内に外に事態をここまでに至らせた先行世代の所業には、ちょっとくらいは愚痴を言うのも許してもらいたいというものです。
そんなふうに後ろを振り返りわが傷をなめることも、時には必要かもしれません。
また心のわだかまりが言葉としてしっかりと表出され、誰かに受けとめてもらえるのなら、セラピー的に癒されるという効果もまたあるでしょう。
が、それ(だけ)がここでの目的はではないのです。
単なる愚痴は、それにどれほどもっともな理由があろうと結局嫌われるだけですし、何より現状を変えようと行動する意欲を損なってしまうからです。
そうではなく、必要なのは前進です。
いわば世代的なハシゴを外されてしまった私たち〈ロストジェネレーション〉がいま克服を求められている課題とは、ロストしたままとなっているアイデンティティの根拠を新たに取り戻すこと、それを通じての内面的な回復‐成長‐変容であり、そしてそのエネルギーによってはじめて可能になる社会的行動だと、そう思われてなりません。
(つづく)
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