〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

アイデンティティは何者だ

2007-02-15 | ロストジェネレーション論
春一番らしきものが二月まだ半ばに強烈に荒れ狂った午後でした。

もう気候がおかしいというのは社会の常識になってきています。
ちょっとの気温上昇がこれほどの変動を起こさせるということは、最近発表された国際的な長期予測による温暖化が起こった日には(というかそれはこのままだと起きるのですが)いったい世界はどのようになるのか…

さて、横道の朝日新聞記事の批判に走ってしまいましたが、「ロストジェネレーション」ということでわが世代について言いたかったことは、ようするにわれわれ同世代の問題とは、単に就職口やら社会保障の見通しが立たないというような意味で(社会的基盤が)「失われた世代」であるといった表面的な話にとどまるものではなく、それ以前に、人生の基盤として不可欠なはずの何かをロストし失った世代だということにあるのではないか、ということでした。

それはとくに難しい話ではなく、ようするに「君らは何者なのか」と問われて、それにどのレベルと広がりで、どれだけの確信をもって答えられるかどうかということだと思います。

それが端的に顕れているはずであるにもかかわらず、朝日の連載が決定的にその意義を見過ごしていたと思われたのが、1月6日付の別面特集の片隅を飾った、「自分たちの世代を、何と呼ぶ?」と題されたネット調査の結果のコラムでした。

2600人の同世代に、自分たちに名前を何と呼ぶかを募ったところ、1700種を越える答えが来て統一見解がなかったことを報告し(最多が「団塊ジュニア」129人)、それを「個性や多様性が世代の特徴」というようなありがちな結論にもっていっている記事だったわけですが、それだけのデータがありながら、それでは肝心の要点が読めていないように思われてなりませんでした。

一見多様に見える背後には、しかしはっきりとつぎの共通点があると読み取らなければ、そもそも分析としてあまりに不十分だということです。
そんなふうにいわば「お前たちは何者か」と問われて、わが世代が出した多種多様な答えには、

「自分たちは先行きの見通しがなく、個々バラバラで不安に満ちており、ようするにマイナスばかりのダメな世代だ」

という明白な基底がはっきりと見て取れるはずです。
紹介されている多種多様な回答は一部であっても、同世代としてそこに明らかにひとつの声が聞こえるように思えてならないのです。

それはつまり「アイデンティティの喪失」ということです。

おおげさではなく、たぶんこれまでの日本史上、私たちは集団として自らのアイデンティティを根底からロストした最初の世代なのではないかと思います。
というよりも、ロストしたということは「持っていた何かを失った」ということですが、世代的な実感としてはむしろ「最初から与えられなかった」というほうが正しいように感じます。

同世代の方はいかがでしょうか?


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