(論理療法作業メモの続き)
●この場合のラショナル・ビリーフ(理にあった考え方)とは?
イラショナル・ビリーフを、グラデーションふうに柔軟に、論理的に、現実的に、有効なものとして言い換える。しかも「急がなければ」と自分を焦らせるのではなく、「人に迷惑をかけないように」というふうに失敗を予想する形でない、適切な考え方とは?
→「適当な時間で適当な処置をとれることが望ましい。適切な処置をしなかったら、好ましくない事態がいろいろな程度で起こる。」
●セルフトークの置き換え
「急がねばならない」と言いかかったら次の二つ。
→「急ぐと何かいいことがあるのか?」「この場合、適切な処置はなんだっけ?」
「急いてはいけない」「落ち着かねばならない」「慌てちゃいけない」と言うことは、自分をますます焦らせてしまうだけ。深層の自我意識(唯識でいうマナ識)の本性である損得勘定を逆手にとること。
→「急かないほうがいいよね」「落ち着いたほうがトクだよ」「焦ると儲かるのか!」
セルフトークのコツ
・自分にふさわしい言葉に文字化すること。
・セルフトークは芝居と同じ。わざとらしいくらいがよい。
・セルフトークがパッと出てくるように、癖をつけること。
・損か得か問うと、損得勘定がベースのマナ識は言うことを聞く(例「ああ、損した!こんどは損しない、トクするぞ!」)。
イラショナル・ビリーフへの論駁と、ポジティブなセルフトークに変換することの関係とは?
論駁は、イラショナルなセルフトークが起こらないように「そんなもん全然意味がないんだよ!」と普段からやっておくもの。
日頃からそれをやっておけば、そういう事態に陥りかかったときに、セルフトークを変換した一言だけでよくなる。「おい、何かトクになるのか? 現実的な対処は何だ?」
●派生的なビリーフへの反駁
・人に協力を依頼したり教えを乞うたりするのは、恥ずかしいのが当たり前だ。しかし当座恥ずかしいのと、今後不快な思いをし続けるのと、合理的に考えるとどっちがいいだろうか? 結局どっちが不快感が少なくて済むのだろうか?
・悔やむのと「損した」ときちんと判断することはまったく違う。悔やむことに何か意味があるだろうか?
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●この場合のラショナル・ビリーフ(理にあった考え方)とは?
イラショナル・ビリーフを、グラデーションふうに柔軟に、論理的に、現実的に、有効なものとして言い換える。しかも「急がなければ」と自分を焦らせるのではなく、「人に迷惑をかけないように」というふうに失敗を予想する形でない、適切な考え方とは?
→「適当な時間で適当な処置をとれることが望ましい。適切な処置をしなかったら、好ましくない事態がいろいろな程度で起こる。」
●セルフトークの置き換え
「急がねばならない」と言いかかったら次の二つ。
→「急ぐと何かいいことがあるのか?」「この場合、適切な処置はなんだっけ?」
「急いてはいけない」「落ち着かねばならない」「慌てちゃいけない」と言うことは、自分をますます焦らせてしまうだけ。深層の自我意識(唯識でいうマナ識)の本性である損得勘定を逆手にとること。
→「急かないほうがいいよね」「落ち着いたほうがトクだよ」「焦ると儲かるのか!」
セルフトークのコツ
・自分にふさわしい言葉に文字化すること。
・セルフトークは芝居と同じ。わざとらしいくらいがよい。
・セルフトークがパッと出てくるように、癖をつけること。
・損か得か問うと、損得勘定がベースのマナ識は言うことを聞く(例「ああ、損した!こんどは損しない、トクするぞ!」)。
イラショナル・ビリーフへの論駁と、ポジティブなセルフトークに変換することの関係とは?
論駁は、イラショナルなセルフトークが起こらないように「そんなもん全然意味がないんだよ!」と普段からやっておくもの。
日頃からそれをやっておけば、そういう事態に陥りかかったときに、セルフトークを変換した一言だけでよくなる。「おい、何かトクになるのか? 現実的な対処は何だ?」
●派生的なビリーフへの反駁
・人に協力を依頼したり教えを乞うたりするのは、恥ずかしいのが当たり前だ。しかし当座恥ずかしいのと、今後不快な思いをし続けるのと、合理的に考えるとどっちがいいだろうか? 結局どっちが不快感が少なくて済むのだろうか?
・悔やむのと「損した」ときちんと判断することはまったく違う。悔やむことに何か意味があるだろうか?
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急ぐ理由は何にせよ、あるのだからやはり、自分がいかに時間を上手く使えるのか、が課題ですね。(またまた偉そうな事を書いてしまった)
コメントいただきありがとうございます。いや、本当にそうなんですよ。やりたい私的なことがある→だから早く帰りたい→焦る、っていうのがかなり。あと、こんなつまらん仕事の準備なんか家でやりたくない→進歩がない、なんていうのもあるようです。
ちょっと論理療法の事情が前提でないとワケのワカランという感じの作業メモをそのまま載せてしまいましたが、これをしっかりと腹におさめていくわけです。分かり切ったようなことでも、じつは全然おさまっていないことを痛感させられております。