〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

論理療法実践:四つの論駁のポイント

2005-12-04 | 論理療法
(論理療法の実践に当たり、整理のために書いたものです。)


ここまでの論理療法セッションのポイント

・アタマの中の話し言葉となっているイラショナルビリーフ(理に合わない思い込み)、そしてそれへの四つのポイントの論駁を、きちんと整理して文章化すること。
・それを徹底的に行い、タテから見てもヨコから見てもそれがまさに非論理的であることを論証・論駁できたというところまで持っていく。
・そして普段からいろんな手段を用いて徹底的に自分に言い聞かせる。
・ポジティブなセルフトークへの言い替えの練習をする。
・現実的な対処の準備をする(対応マニュアルの作成等)



「急がなければならない!さもないと大変なことになる!」というビリーフについて:


①柔軟性があるか?

「急がなければいけない」について
・急ぐ度合いも設定せず「急がなきゃ」というのは、常に最高に急がせ結局自分を焦らせる、ひじょうに硬直的な思い込みではないだろうか?
・常に最高に急いでいたら消耗しきって適切な処置ができなくなってしまうのではないか?
・どの程度急げばいいというのか?
・必要なときに適宜ある程度急ぐというグラデーション的な柔軟性こそが必要なのではないか?
・「急ぐ」というボキャブラリーはそもそも適当だろうか? そうして自分を急がせることが?

「大変なことになる!」について
・それはいったいどの程度大変なことなのだろうか?
・それらの事態が起こる、それぞれの割合は?
・もっとも起こりうる可能性が高いのはどういう事態だろうか?
・そして最高に大変なことというのは、どんなことで、どんな割合で起きそうか?
・自分のミスで人が死ぬ確率はどの程度だろうか? 人を傷つける確率は?
・殺される確率はどの程度か? 殴られたり迫害を受けたりする確率は?
・そして世の終わりが来たりするというのか?
・結局起こりうる事態とは、不快なのか、それとも恐ろしいのか? それはどの程度なのか?
・頭を下げたりして不快な思いをするかもしれないが、それは最悪なことなのか?
・そういうことを全部勘案した上で、「大変なことが起こる!」などと言っているのか?
・したがって「大変なこと」というのがまさに極端化で、過度の一般化をした恐怖視にほかならないということがわかったか?


②論理的か?

・「急がなければならない、さもないと大変なことになる!」の「さもないと」――英語でいう“or”――は、必然的な論理になっているだろうか? 前段と後段は論理的につながるだろうか?
・必ず大変なことになる…のか? そうならないことがあるのではないか?
・そしてどちらになることのほうが多いだろうか?
・大変な事になるか、そうでないか、結論はその二つしかないのか?
・現実には大変なことにはならない方が多いとすると、このビリーフは論理的と言えるのだろうか?


③現実と一致しているか

「急がねばならない」について
・「(常に最高に)急げ」などと、いったい誰に言われたのだろうか?
・それは勝手に自分が思い込んでいるにすぎず、結局心理的なものでしかないのではないか?
・行動についてはともかく、心を急かせ焦らせることは、単に現実的な対応の幅を狭めるだけだったのではないだろうか?
・「急がなければならない」というのは現実だろうか? そうではなく、どこまでも「適切な時間で済ませた方がいい」ということにすぎないのではないか?
・適切な時間内で済ましたほうがいいが、それは適切な処置があった上でのことではないか? 果たしてどちらが優先的だろうか?
・的確な処置が優先されるとして、心理的に急ぐことはそれに役に立つだろうか?
・的確に対処するに当たって、一つ一つ処置していく以外に、適切な時間内に済ませる方法があるだろうか?
・したがって、「急がねばならない」などと自分を急かせることは、責任を持って行動するに当たってどれほどの現実性があるだろう?
・職場環境的に初心者の自分に急がねばならないことが求められているだろうか? 現実にはいったい何が求められているのか?
・初心者が一人で心理的に勝手に急ぐよりも、より的確に判断できる人に助けを求めた方が現実的ではないか?
・そもそも「助けを求める」というのは現実的だろうか? 仕事は協力して一緒にやるものだ。それよりも「協力を依頼する」というほうが現実に合っていないだろうか?
・まわりで的確に事態に対処している人は、急がなきゃ、などと焦っているだろうか?
・物事の対処は急がなければならない、などという社会の掟がどこかにあっただろうか? それができないことを罰する法律は?
・すると「急がねばならない」と思い込むその根拠がどこにあるのだろうか?

「大変なことになる!」について
・具体的に起こりうる事態を検討した上で「大変だ」と言っているだろうか?
・予想される「大変なこと」というのは、本当にそんなに大変なことなのか?
・対処・フォローすることもできないのか?
・現実的で適切な対処とはどのようなものがありうるか?
・「大変だ」と捉えることは、そのように対処する上で現実的だろうか?
・起こりうる事態は、自分に全責任があるのだろうか?
・起こった事態は自分の無能力の証明になったりするだろうか。それはごく一部の対応能力の不足を過度に一般化した見方ではないだろうか?
・適切に対処できなかったとして、それで生存権が剥奪されたりするだろうか?


④有効性があるか
・そんなふうに心を急かすことは、適切な時間内に適切な処置をとる上で、どの程度有効性があっただろうか?
・逆に失敗を重ねるのみだったのではないか?
・「大変なことになる」と思い込んで心理的に大変になることは、何か自分のトクになるだろうか?
・考えるヒマもないほど急ぐことで、何か新しい知恵でも浮かんでくるのだろうか?
・現実には心理的には落ち着いていたほうが、事態に対処しやすいのではないか?
・結局心理的に急がねばならない理由があるだろうか?
・急ぐと二つのことをいっぺんに処置できると言うのか?
・「大変なことになる」と考えて事実大変に思えることに、どういう有効性があるのだろうか?
・そういうふうに言っていると現実への対処に何かプラスになるだろうか?


人気blogランキングへ

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごいです! (HIRO)
2005-12-04 09:31:24
論理療法。

すごくまとまっていますね。

これだけ自分で文章化すれば、ばっちり頭にたたき込まれますね。

ブログの素晴らし活用方法だと思います→自分のため、人のため→自利利他☆
返信する
勉強になります (りょう)
2005-12-04 18:36:43
かなり、論理療法を自分の中で消化してますね。私はとても・・・。

とにかくすごい!

論理療法は結局、どういう論理が自分にとってプラスになるかということを見極めていって、論理を取捨選択する作業なんですね。

まず、自覚的に内面の非合理的、不条理な論理を洗い出し、吟味、検討する。問いかけることで合理的な論理を導き出して、採用するというか。

わたしも落ち込んだり、悩んだりしたときは論理療法的に、自己の内面に向かって問いかけるようになりました。

でも、こういうふうに文章化するのは徹底しててきっと効果も絶大だと思います。

追体験させてもらいました。確かに自利利他一如ですね。
返信する
Unknown (type1974)
2005-12-05 01:35:41
HIROくん、りょうさん、コメントありがとうございます。

とりあえずカウンセラーの援助により反論・論駁のメモを作りましたが、これは第一段階。つぎはこれを自分に徹底的に言い聞かせる。ちょっとアレな表現ですが、いわば能動的な洗脳、ですね。

おたがいがんばりましょう!
返信する

コメントを投稿