〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

コスモロジーセラピーについて――宮台真司氏の過去の言説批判をたたき台にして(1)

2017-12-25 | サングラハ教育・心理研究所関係
 現在行われている、サングラハ教育・心理研究所の岡野守也先生による東京講座「コスモロジーセラピー」は、定番の現代科学的コスモロジーを中心としたセラピー講座だが、先に触れたように、特に集団レベルでの自信に関してバージョンアップされた講座とのことであり、非常に重要だと思われる。

 そこで、先日の第三回講座の聴講によるメモを加筆したものを紹介のため掲載していきたい。
 なお、これも講座受講者の筆者がどこまで身に付けているかはさておき、の話にすぎない(自覚は必要だとして、そうでないとなにも語れなくなってしまう)、あくまでその視点・レベルから書いたものなので、実際にはぜひ講座にご参加いただきたいと思う。

 神田駅近くにて、月1回・土曜に開催しており、詳しくは研究所HPの情報をご参照のこと。

 改めていうと、このセラピーは、「自己信頼」、セルフエスティームという意味での自信を回復・増進するセラピーである。
 各種の精神疾患や、引きこもりをはじめとする社会性の問題の根底に自己信頼感の欠如があるということは、私が身を置く福祉・医療の現場でも共通認識になっていると言ってよい。

 では、自己信頼=自信とは一体何か?
 コスモロジーセラピーでは、自信をわかりやすく三段階のレベルで捉えている。
 それはセラピーに融合された仏教・唯識の心理理論に裏付けられたものとのことだが、実際確かにそのとおりとなっていることが体験的にも納得される。

 まず宇宙レベルの自信、コスモロジーの確立ということが第一に挙げられており、いわばこのセラピーのミソともいうべきポイントである。
 「宇宙」というと何か遠い世界のことのようだが、「宇宙・世界・自分とは何なのか」というコスモロジーは常時私たちの意識の背景として働いており、遠いどころか内面的には今・現にここにあるものである。

 また、講義で触れられていたように、外面的にも日本の今ここは宇宙にほかならない。
 テレビなどで言われている「宇宙」とは、正確には「地球外空間」ということであって、実際ここ地球も、そして私の体も宇宙であるというほかない。実際、そうではないだろうか?

 私たちは主として教育プロセスで「すべてはモノにすぎず、結局は意味もクソもない」という、ある種ミもフタもないコスモロジーが埋め込まれているが、それはおよそ百年前までの近代科学のレベルに基づく古いコスモロジーにすぎない、ということが、ニヒリズムのいわば先駆者であるパスカルやゴーギャンの例をあげて解説されていた。

 「意味もクソもない」――思えば懐かしいセリフである。

 表題で、宮台真司氏という社会学者の過去の言説(以後は興味がないので、現在の言説を全くフォローしていないため)への批判を中心にとあえてしているのは、単に批判のための批判ではないつもりである。

 彼の過去の言説というか、正しくは過去の所業は、コスモロジーセラピーが現代になぜ必要となるかという、その要素が非常に端的に込められているからである。

 いわばこれを批判することが、コスモロジー受容の前提となる「たたき台」として非常にわかりやすい作業となるので、本稿ではこのことを中心に語っていくというにすぎない。

 ただ、宮台氏に関しては、どうしてもある種の世代的怨恨という感情が先立って書いてしまうので、言葉が滑ってしまうかもしれない。
 不適切な点があれば適宜修正するのでご指摘願いたいと思う。

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