本書が目指したもの
本書の目的は、例えば次の一文に要約されている。「宗教と近代西欧社会との発展、とくに近代と経済との関係について、マックス・ヴェーバーの偉大な著作に影響された社会学者は、当然、日本の場合にも宗教的要素が含まれるのかどうかを問題にする。大胆にいうと、この問題は、日本の宗教のうちで、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのかということである」(三四頁)。本書はこの目的に沿って、前近代の諸宗教から生み出され、徳川時代に確立・高揚し、近代日本に連続した倫理意識の中核を探っていく。書名からは意外だが、ここでは宗教そのものは問題の焦点となっておらず、個別の宗教の信仰・教理・教団組織は、あくまで近代化の動因となった日本人の宗教・倫理意識を掴み出す作業の背景として扱われている。したがって「徳川時代の宗教」よりも、むしろ原書(一九八五年版)の副題「近代日本の文化的ルーツ」のほうがテーマを現すものとしてふさわしい。要するに、日本の近代化の成功およびその後の劇的な躍進を可能にした、近代化以前の日本人の「力」と、その精神的な由来を探る試みが本書である。
しかし、本書が的確に捉えた日本の競争力の源泉たる社会心理構造の背骨は、戦後の歴史を通じて悪罵とともに解体され続け、今や私たちの内面から完全に抜き去られている。そしてそれに代わる戦後のヒューマニズムは不毛の大地に立ち枯れ、脱力した「お笑い」の空気が瀰漫する価値の空白を、グローバルな経済原理だけが覆い尽くすに到った。そのように「力」を奪われながら競争力が強要される根本的な矛盾は人を竦ませ、そのこと自体が個人、集団そして社会全体の競争力を奪っていると見える。本書は、近代日本の「力」の源泉がどこにあり、私たちが一体何を失い、なぜこのような現状にあるのかを認識させ、さらに現状をいかに乗り越えるかの重要な手掛かりをもたらしてくれる。
その内容を紹介していく前に、本書の真意を受け入れるのを阻む心理的ブロックとなるであろういくつかのことを述べておきたい。
「中心価値体系」と日本人のアレルギー反応
本書の元となった論文は、日本がようやく戦後復興を成し遂げた一九五〇年代半ばに執筆されているが、現在の目から見れば、その後の高度経済成長の可能性をも示唆する内容となっていることが注目される。そのようにして著者が解明しているのは、日本が非西洋世界の中で唯一近代化に成功した内面的な原動力として、その歴史の始まりから一貫し、特に徳川時代に隆盛を見た、宗教・倫理が根拠づける「中心価値体系」が存在していたことである。いわば本書の第一のキーワードであるこの中心価値体系とは、突き詰めれば「忠誠」と「無私の献身」いう軸に集約される。
本書の目的は、例えば次の一文に要約されている。「宗教と近代西欧社会との発展、とくに近代と経済との関係について、マックス・ヴェーバーの偉大な著作に影響された社会学者は、当然、日本の場合にも宗教的要素が含まれるのかどうかを問題にする。大胆にいうと、この問題は、日本の宗教のうちで、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのかということである」(三四頁)。本書はこの目的に沿って、前近代の諸宗教から生み出され、徳川時代に確立・高揚し、近代日本に連続した倫理意識の中核を探っていく。書名からは意外だが、ここでは宗教そのものは問題の焦点となっておらず、個別の宗教の信仰・教理・教団組織は、あくまで近代化の動因となった日本人の宗教・倫理意識を掴み出す作業の背景として扱われている。したがって「徳川時代の宗教」よりも、むしろ原書(一九八五年版)の副題「近代日本の文化的ルーツ」のほうがテーマを現すものとしてふさわしい。要するに、日本の近代化の成功およびその後の劇的な躍進を可能にした、近代化以前の日本人の「力」と、その精神的な由来を探る試みが本書である。
しかし、本書が的確に捉えた日本の競争力の源泉たる社会心理構造の背骨は、戦後の歴史を通じて悪罵とともに解体され続け、今や私たちの内面から完全に抜き去られている。そしてそれに代わる戦後のヒューマニズムは不毛の大地に立ち枯れ、脱力した「お笑い」の空気が瀰漫する価値の空白を、グローバルな経済原理だけが覆い尽くすに到った。そのように「力」を奪われながら競争力が強要される根本的な矛盾は人を竦ませ、そのこと自体が個人、集団そして社会全体の競争力を奪っていると見える。本書は、近代日本の「力」の源泉がどこにあり、私たちが一体何を失い、なぜこのような現状にあるのかを認識させ、さらに現状をいかに乗り越えるかの重要な手掛かりをもたらしてくれる。
その内容を紹介していく前に、本書の真意を受け入れるのを阻む心理的ブロックとなるであろういくつかのことを述べておきたい。
「中心価値体系」と日本人のアレルギー反応
本書の元となった論文は、日本がようやく戦後復興を成し遂げた一九五〇年代半ばに執筆されているが、現在の目から見れば、その後の高度経済成長の可能性をも示唆する内容となっていることが注目される。そのようにして著者が解明しているのは、日本が非西洋世界の中で唯一近代化に成功した内面的な原動力として、その歴史の始まりから一貫し、特に徳川時代に隆盛を見た、宗教・倫理が根拠づける「中心価値体系」が存在していたことである。いわば本書の第一のキーワードであるこの中心価値体系とは、突き詰めれば「忠誠」と「無私の献身」いう軸に集約される。
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