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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 16

2018-02-14 | JFK暗殺事件について

 それ以上に重要でより不可解なのは、この第一の銃弾の弾道である。

  公式説によれば、オズワルドの放ったマッハ2を越えるライフル弾は、路傍の樫の木で跳弾し、奇妙な角度で弾道を曲げ、偶然にも地表にを這うような軌跡を描いて、観衆ジェームス・テーグの目の前の縁石に向かい、コンクリート片を跳ね上げた、とされている。

 こうしたことが実際起こりうるのか?

 オズワルドの第一の銃弾は、立ち木の枝に当たって弾道を変えたと考えなければならない。彼の位置から大統領を狙った場合に、幹に当たることはまずあり得ないことは、委員会証拠物件の次の写真から明らかである。

※委員会証拠物件の写真。オズワルドが構えた銃からの視点とザプルーダー・フィルムの各コマの同期を図っている。木の枝で跳弾したとされているからには、ほぼこのコマのあたりで第一弾が発射されたことになる。改めて、時間的余裕の許されていたオズワルドがなぜこの時点で初弾を放ったのか、深い疑問が生じる。現場で段ボールの「巣作り」までしながら待ち構えてきた彼は、ケネディ大統領のリムジンがディーリープラザに入って以降、それまで一体何をしていたのか。この画像の方向の狙撃に都合のいいようにきちんと揃えて重ねた段ボールに銃を構えた腕を預けて、絶好の狙撃の好機を脇目に見過ごしながら、スコープにリムジンが入ってくるのをただ待っていた、とでもいうのだろうか。
 

 写真を見てもわかるとおり、この銃弾が当たったとされるのは、樹木の茂みの梢の部分、細い枝と葉しか見当たらない箇所であり、ライフル弾を阻害するような枝があるようには見えない。これだけでも第一の銃弾の事実認定は、本来相当に厳しいはずである。

  しかし、大きな運動エネルギーと貫徹力を持つライフル弾がその弾道を変えたとされているからには、相応に太い枝が、しかも深く抉られたものと考える必要がある。ここでは仮にそういうことにしてみよう。

 そうして弾痕のある枝は、重要証拠として即日確認できたはずである。にもかかわらず、この樫の木が調査された形跡がないのはどうしたことか。この非常に重要な証拠物件となるべきものが、 分厚いウォーレン報告のどこにも出てこないのである。

   

 この樫の木は現存しており、実際に被弾があったのだとすれば、50余年を経た今でも弾痕が確認できるだろう。

 もし「後年の剪定などでもはや確認できない」などと強弁するとすれば、それはあまりに苦しい説明となる。超重大事件の最重要証拠物件が調査も保全もされず放置された、つまりウォーレン委員会がはなからこの基本的事実を調査する気がなかったことを、逆に裏付けてしまうからである。

 もちろん、大統領直属の政府調査委員会なのだから、そんなことがあってはならない。

  つまり、ウォーレン報告のストーリーを事実とする限り、第一の銃弾は樫の木の枝を傷つけることもなく、不思議にも軌道を変えたことになる。この時点ですでに第一の銃弾の「設定」は破綻していると言わざるを得まい。

  以下は仮定の話として、あくまで公式説に付き合うことにしてみよう。それでも立ち木の枝が、何らかの作用によって、たまたまライフル弾の弾道の変えてしまったのだとする。

 しかし、そもそも「マッハ2を越える鉛の弾丸が、至近の木の枝に接触して跳弾する」などということが実際にありうるのか?

  拳銃弾の数倍のエネルギーを持ち、かつ小口径のカルカノ6.5mm弾は、厚さ2センチ近くありそうなパイン材の板を多数貫通し、ほとんど変形もしないことが、次の動画から確認できる。 先述したとおり、オズワルドが用いたとされる実包が発射薬の減量などのない通常の威力のものだったことは、ウォーレン報告書が裏付けている。当然この程度の貫徹力を持っていたと見てよいだろう。

Carcano Bullet Through Wood

※この検証動画を注意してご覧いただきたい。実射テストによって、後述の第二の銃弾が「あり得ないわけではない」ことの実証を意図したものだが、同時に、第一の銃弾が「あり得ない」ことを、図らずも実証してしまっているからである。

 

 この樫の木のどこにも弾痕が存在しない以上、仮に弾丸が接触したとすれば、それは先の写真のスコ ープ内に見えていたような梢の部位の枝先だということになるが、 厚手の木板を45枚も射抜くライフル弾の貫徹力からすれば、その程度の障害によってここまで大きく弾道が変わることは到底考えがたい。仮にそうであったとして、「折れた小枝」は一本も確認されていない、つまり、それもまた存在しないのである。

  このあとに続く公式説による第二の銃弾は、第一の銃弾が樹木に接触した位置よりも遠い場所でケネディ大統領に命中し、背後から頚部下方の組織を貫通、軌道を変えず直進したまま前方のコナリー知事の背部に命中し、さらにその胸部胴体をも貫通したとされており、わずかに枝に触れた(?)だけで弾道を大きく変えたとされる第一弾とは、話がまるで異なっている。  

 この一事を見ても、銃弾のエネルギーという基本的事実が、予め決められた結論のほうに合わせるべく操作されていることがわかる。  結局、公式説を素直に受け取るなら、オズワルドの第一の射撃では「弾丸が自ら軌道を変えた」ということになってしまう。つまり、そのような銃弾は実際には存在しなかったという結論になるらざるをえないのである。

  この後のオズワルドによる第二の銃弾は、映画「JFK」でも取り上げられていたように、その不可思議な挙動から「魔法の銃弾」(magic bullet)と揶揄され後年ずっと議論になってきた。しかし公式説を真とする限りは、この第一の銃弾こそ自ら弾道を変える正真正銘の「魔法の銃弾」にほかならない。 あとで見ていく三発目もきわめて不可解な銃弾であり、だとすればオズワルドの犯行とは、まるで「魔法の銃弾」の連続である。

 もちろん「魔法」などというものは現実には存在しない。要するに「オズワルドの三発の銃弾」とはフィクションにすぎなかったのである。

 (なお、上掲動画は、オズワルドの第二の銃弾が、ケネディ大統領とコナリー知事の二人を貫通しながら、ほぼ変形することもなく発見されたことなどを不審とする陰謀説に対し、実地テストで反論する内容となっている。 この銃弾については、映画「JFK」でも終幕近くの裁判場面において、陰謀の中心的物証として取り上げられていたので、ご存知の方も多いだろう。 この番組は、陰謀説の側が取り上げる疑惑に対し、そうした疑惑を生む現象が物理的に「あり得なかったわけではない」と主張する、公式説に忠実なメディアによるキャンペーンの一つであると見える。こうした番組は、疑惑の現象が「再現できないこともない」ことをもって「だから事実だったのだ」と、一見もっともらしいがよく考えると奇妙な主張をするのが一つのパターンとなっている。もちろん「再現可能性」と「事実の証明」とは、イコールではまったくない。一体その制作意図は何なのか、勘ぐりたくもなるというものだ。)

 

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