これまで紹介してきたように、現代科学にもとづく「つながり‐かさなりコスモロジー」の重要な意味とは、現在の私たちが感じている閉塞状況の本当の出口になりうるのではないか、というか多分その最有力の代案だろう、ということです。
「出口」といえば以前取り上げた『完全自殺マニュアル』が内心の苦笑とともに思い出されます。
その著者鶴見済氏は、自殺を苦しい人生からの出口であるとし、出口があるとわかることで生きるのを相対化してラクになろう、というようなことを言っていたと思いますが、実践された方はすぐにわかったとおりそれは絶望の出口でしかありません。
生きることは「身震いするほど恐ろしい」と言っていた著者がいまだ出口から出ていない(らしい)ことが、それを証明しているのでしょう。
よくよく発言というのは自分の偽善ぶりに自覚的に行ったほうがいいと、彼の本の恥ずかしい自己矛盾にあらためて思ったしだいです。
一方(以下略して)コスモロジーの物語る「出口」は「その先」があります。それはいまだ閉塞のこちら側にいると感じることが多い私にとって希望であると見えます。
それはいかなる意味で希望なのか。
落ち込みうつになって絶望して自殺を考えるのは、結局「自己信頼」という意味での「自信」が欠乏しているからにほかなりません。
自信があってうつの人というのがほぼ100%いないことから、このことは事実と言っていいと思われます。
「自信」というと、受験とか成績とかで競争意識を刷り込まれた私たちには「自信家」という言葉が表わすようにうぬぼれや傲慢のような嫌な感じをイメージしますが、それがほんとうの自信ではないこと、自分をほんとうに受容し承認できるという意味で信頼できていることこそが真の意味での自信である、というのは、そう整理されるとたしかにそうだと思われます。(本家ブログご参照を!)
ある意味で健康な心とは確固とした自信のある心そのものだといっても差支えないのではないかと思います。
私たちはそういう意味での自己信頼・自信を、自意識的な心をもつ存在としてなにより心から望んでいると思います。
(それが幸運なことにはじめから用意されている人にはなかなか自覚できないようです。足りない者こそ心底そう感じるのかもしれません)
で、なぜ人・世界・宇宙の見方であるコスモロジーが自信と関係あるのかですが、じつは関係あるかないかどころではなく、人間にとって自己信頼・自信の根源的な根拠こそがコスモロジーなのではないか、と思われます。
私たちはいろんな根拠によって自信を持とうとします。ルックスだとか、成績だとか、能力だとか、人間関係だとか、趣味だとか、持っているものだとか…しかしいずれもはかないものです。他人と比較すればいつも上か下かでしかないし、いつ失われるかわからないし、失われまいとがんばってもいずれ持主の自分自身が死んでしまうのですから。
このコスモロジーのすごいところは、そういうのをすべて抜きにしても自己承認・自信が成り立つということです。生きているだけで自信を持つことができる、自分を信じることができる、宇宙的な根拠をもって。
「宇宙的な」ということをどう聞かれたでしょうか?あやしい?
しかしこれは現代科学が明らかにした、現在もっとも新しくリアルな宇宙観です。
宇宙はビッグバンのはじめからつながって一つのまま、その一つの宇宙が137億年の進化の歴史から人間を生み出した、というか宇宙が私になった(私が宇宙であるのは証明以前の事実です)
…この人間としての自分に、現在の「実感」はどうあれ、価値がないなどとなぜ言えるのか。事実として宇宙的・絶対的な価値そのものではないか。
絶対的な根拠に基づく真の自信。
それなくして、うつ状態でたとえ1000億円があっても、世界的な名声があっても、世界一の長寿を得ても、それが何になるでしょう。
私たちが心から求めるのはなにより自分への信頼です。
そうではないでしょうか?
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「出口」といえば以前取り上げた『完全自殺マニュアル』が内心の苦笑とともに思い出されます。
その著者鶴見済氏は、自殺を苦しい人生からの出口であるとし、出口があるとわかることで生きるのを相対化してラクになろう、というようなことを言っていたと思いますが、実践された方はすぐにわかったとおりそれは絶望の出口でしかありません。
生きることは「身震いするほど恐ろしい」と言っていた著者がいまだ出口から出ていない(らしい)ことが、それを証明しているのでしょう。
よくよく発言というのは自分の偽善ぶりに自覚的に行ったほうがいいと、彼の本の恥ずかしい自己矛盾にあらためて思ったしだいです。
一方(以下略して)コスモロジーの物語る「出口」は「その先」があります。それはいまだ閉塞のこちら側にいると感じることが多い私にとって希望であると見えます。
それはいかなる意味で希望なのか。
落ち込みうつになって絶望して自殺を考えるのは、結局「自己信頼」という意味での「自信」が欠乏しているからにほかなりません。
自信があってうつの人というのがほぼ100%いないことから、このことは事実と言っていいと思われます。
「自信」というと、受験とか成績とかで競争意識を刷り込まれた私たちには「自信家」という言葉が表わすようにうぬぼれや傲慢のような嫌な感じをイメージしますが、それがほんとうの自信ではないこと、自分をほんとうに受容し承認できるという意味で信頼できていることこそが真の意味での自信である、というのは、そう整理されるとたしかにそうだと思われます。(本家ブログご参照を!)
ある意味で健康な心とは確固とした自信のある心そのものだといっても差支えないのではないかと思います。
私たちはそういう意味での自己信頼・自信を、自意識的な心をもつ存在としてなにより心から望んでいると思います。
(それが幸運なことにはじめから用意されている人にはなかなか自覚できないようです。足りない者こそ心底そう感じるのかもしれません)
で、なぜ人・世界・宇宙の見方であるコスモロジーが自信と関係あるのかですが、じつは関係あるかないかどころではなく、人間にとって自己信頼・自信の根源的な根拠こそがコスモロジーなのではないか、と思われます。
私たちはいろんな根拠によって自信を持とうとします。ルックスだとか、成績だとか、能力だとか、人間関係だとか、趣味だとか、持っているものだとか…しかしいずれもはかないものです。他人と比較すればいつも上か下かでしかないし、いつ失われるかわからないし、失われまいとがんばってもいずれ持主の自分自身が死んでしまうのですから。
このコスモロジーのすごいところは、そういうのをすべて抜きにしても自己承認・自信が成り立つということです。生きているだけで自信を持つことができる、自分を信じることができる、宇宙的な根拠をもって。
「宇宙的な」ということをどう聞かれたでしょうか?あやしい?
しかしこれは現代科学が明らかにした、現在もっとも新しくリアルな宇宙観です。
宇宙はビッグバンのはじめからつながって一つのまま、その一つの宇宙が137億年の進化の歴史から人間を生み出した、というか宇宙が私になった(私が宇宙であるのは証明以前の事実です)
…この人間としての自分に、現在の「実感」はどうあれ、価値がないなどとなぜ言えるのか。事実として宇宙的・絶対的な価値そのものではないか。
絶対的な根拠に基づく真の自信。
それなくして、うつ状態でたとえ1000億円があっても、世界的な名声があっても、世界一の長寿を得ても、それが何になるでしょう。
私たちが心から求めるのはなにより自分への信頼です。
そうではないでしょうか?
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