〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

バックキャストで行きたい

2006-10-19 | 論理療法
こんばんは。
ブログタイトルとテンプレートを変えてみました。

こういうお手軽さ・お気楽さがじつにいいですね。
ワンクリックでガラッと変わる。
なにごとも流れる感じに、というのがこのネット世界のまさに「流儀」なのでしょう。

一昔前だったら、机上の原稿用紙を前に眉間に皺寄せて、というのが文章への作法だったのでしょうが、
そんなふうに「自分のスタイル」による「独自の表現」だとかにこだわることが、なんだかおかしくなってくるようです。

ともあれずいぶん時代は変わったということでしょうか。
そのぶん、ネット的巷における文章スタイルも限りなくお手軽感あふるるものになっているようですがね。
…それはお前もな(内面の声)

かつては普通に生きていたら難しかった社会に向けてのいわゆる「情報発信」「自己表現」が、
(その内実はさておき…)ずぶの素人にこうも簡単にできてしまう。
かつてはまさに「有り難かった」という意味でありがたいことなはずです。
忘れがちだが。

そういうわけで、どうせなら、流れにのみ込まれるのではなく、流れに棹さすという感じで、これは、もし使えればすごい道具なのだと、あらためて思います。
うまく有効に使っていきたいものですね。

ところで、タイトルにしました「バックキャスト」、最近耳にされるようになった方もたぶん多いのではないでしょうか?
最近あまり大メディアに接していないのでそういうことに疎いのですが、
(だから、ひょっとしてすでにそうなっているのかもしれませんが)
これは「流行語」になりそうな気がします。

それだけの実質をもつ現実的かつすてきな言葉だとおもうのです。
私は、環境スペシャリスト・小澤徳太郎先生の御著書
『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」
――安心と安全の国づくりとは何か』
で初めて知りました。

ちなみに“cast”とは

━━ vt. (cast) 投げる; (票を)投じる; 投げ[脱ぎ]すてる; 投げかける; 放つ; (目を)向ける; (goo英和辞典より)

という意味であるとのこと。
(ううむ知らなかった、英語10年くらい勉強してきたのに)
ということは、直訳でいうと最後ので「後ろに目を向ける」というような感じになるでしょうか。

拝読した限りの理解ですが、政治的な意思決定とか、行政的な施策の実行にあたって、まず「こういう社会にしたい」という明確なヴィジョンをさきに決めておき、つまりいわば願望実現のイメージを先立てて、それに向けてじゃあ今何をすべきかを考え判断していく、その手法をいうとのことです。

これはひじょうにイメージしやすく、素人目にも、そうしたほうが中長期的に社会はいい方向に行くだろうし、個人としてもよりよく生きられるにちがいないのは明らかに見えます。
これは揶揄するのではありませんが、いわゆる「中学生にもわかる理屈」というやつではないでしょうか。

しかしそれが現実に私たちの所属する、大はこの日本から小は会社そして家族に到るまでの、社会集団の舵取りやたとえば私個人の人生のあれかこれかの選択と道往きにどこまで行われ活かされているかというと、これは甚だあやしいといわなきゃ、たぶんウソになってしまうでしょう。

だって、今期の利益・明日の稼ぎが、やっぱりどうしたって気になってしまうではないですか。
「それがあってはじめてきれいごとが言えるんだよ」「現実は厳しいんだよ」「それは理想論だよ」
――といったところでしょうか。
会社のため・家族のために一生懸命なサラリーマンのおじさんが、生意気な小理屈を言うようになった子どもを諭していう言葉のようですね。

それは、いわゆる「喰うために生きる」ということで、もちろんそのレベルではもっともなことにも思われます。
だって、かくいう私も現にそう生きていますから。

しかし、そのために全体を損ない、将来世代にツケを負わせていいというのか?
システムに乗っかって生きているぼくらは、それが問うことができているでしょうか。

さてさて言葉が滑ってきましたが、そんなふうに集団的・個的に行われている意思決定とは、そんなバックキャストの正反対、「フォアキャスト(forecast)」というものです。
さきの直訳にならえば「前向き」にやる、という感じでしょうか。
なんかポジティヴな印象ですね。
そういう歌詞の曲が最近多いじゃないですか。
それが何が悪いの、と言いたくもなるかもしれません。

しかしさにあらず。
前向きも、ただ前を見てりゃいいわけではない。
どちらの方向を“前”にして進むか、それが両者の違いのようです。
そのことについて、また書いてみたいと思います。

さて、ここまで書いてきて思うのは、前回書いた復活理由はかなりきれいごとだったかなということ。
ま、きれいごと・タテマエ・理想論も、バックキャスト的にちゃんと生きるヴィジョンになればいいのだがね。

…はいはい、ようするに何か文章書きたかったのね。

次こそは肝心のシンポジウムのことを書きたいと思います。


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5 コメント

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Unknown (三谷)
2006-12-30 22:58:27
>あみさま
どうもこんばんは。
コメントいただいていたにもかかわらずご無沙汰してしまいごめんなさい。
新しいブログ開設されたとのこと、ぜひお伺いしたいと思います。
バックキャストに必要なこと、ほんとうにそのとおりだと思います。はっきりと願望がイメージできるまでに高めあげること。そういう願望実現、お互いやってみたいですね。非現実的な内面の観念論、のように見えて、実は歴史というのは結構そういう「内面」が動かしているという面が大きいのではないかと思うこのごろです。
ぜひまたご意見お聞かせください。
返信する
新しいブログ (あみ)
2006-12-26 21:21:08
「リアライズの仲間たち」のブログに投稿していたものをまとめて、新しいブログを作りました。

こちらのブログもよろしく。。。

たぶん、バックキャストに必要なことは、
「ありたい将来」をまず描いてみることだと思うのです。
人であれば、「最高の人生」「理想の人生」
社会であれば、「あるべき社会」「理想の社会」
「楽園」「持続可能な社会」などなど。。。

ありありと、その風景が見える。
その音を感じられる。
その実感や、感動がからだで感じられるぐらいに
なれば、きっと。。。。
バックキャストができるのではないかと思うんです(^^


言葉じゃなくて、心で聴く。
理屈じゃなくて、やってみて知る。
そんなことじゃないかなと。。。

バックキャストについて、私なりに
思うことを、また書いてみたいと思います。
返信する
バックキャストいいですね(^^ (あみ)
2006-12-24 22:07:17
トラックバックありがとうございました。
こちらからもさせていただきました。
あちらは、出張先ブログでたまにしか書かないので
気づくのが遅れてごめんなさい。

私も誰だったか忘れましたが、環境関連の講演会で
「バックキャスト」という言葉を知りました。
まだ、世間ではそれほど見かけない気がします。

日本画の「振り返り美人」のように
振り返ってみるのがいいというようなことを
おっしゃっていましたね。

今日はイブなので、またあちらに投稿したので、
また、見てくださいね(^^)/

これからもよろしく。

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Unknown (下士官m)
2006-10-19 17:23:01
りょうさん、どうもこんばんは。

ネット上ではお久しぶりです。



コメントありがとうございます。

私のマナ識くすぐるツボ、よく心得ておられますね。



たしかにシンポジウム広報、ぜひともがんばりたいです。

だって、それだけの顔ぶれと内容ですから。

で、できることって、ブログぐらいしか思いつきませんで…

とはいえ、復活は「単に書きたい」という個人的な思いが半分です。



わたしも中尉殿のブログのファンであります。ぜひアクセスアップの方法を教えて下さい。

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復活おめでとうございます! (りょう)
2006-10-19 13:44:25
論理明晰な文章は相変わらずとても分かりやすいです。

たくみな比喩、文章力、素晴らしい。。。



今回のブログ復活はシンポジウムの広報活動のためとは思いますが、それに限定せずにれからも軍曹殿のペースで更新されることを、このブログの一ファンとして望みます。



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