〈私〉はどこにいるか?

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世界価値観調査について③―国のために戦う意思

2020-04-08 | 世界価値観調査(WVS)等について
ひきつづき世界価値観調査(WVS)について続けたい。

新型コロナウィルスの猛威の恐るべき状況下で、他国と違ってこの日本では政治的権力がなぜ断固とした態度が取れないのか。
その理由を価値観の側から明らかにするため、先に「権威・権力(オーソリティ)を尊重するか」との趣旨の調査項目を取り上げた。

子どもを世話しながら書いたので文がうまくなかったと思うが(それにしても、保育園が休止とならないか心配だ)、決して日本の現政権を支持する意図で書いたものではない。筆者としては、現政権では国の持続可能性という意味ではっきりとダメで、建設的な形の政権交代が必要だと考えている。
前回の意図は、日本のオーソリティ一般がなぜこうまで軟弱にならざるを得ないのか、私たちの意識の側にある理由を、この価値観調査の結果が非常によく表していると思ったという点にある。しかしどうにも言葉足らずだったような気がする。

さて、今回はもっとストレートに「国のために戦えるか」である。
これはWVSのうちで比較的よく知られた調査結果であり、いろいろなところで紹介されているようだ。

現在、新型コロナウィルスの脅威に対して、「私たちは一丸となって戦う必要がある」と盛んに言われてはいる。
しかし、本日首都圏の繁華街を通勤で通りかかってところでも、飲み屋には少し減ってはいるが飲み客が漏れなく座っていた。国による緊急事態宣言下においてこれである。「自粛」を「要請」するのが精いっぱいの権威しか、この国の権力には与えられていないのである。
(一見権威的に見える現政権とは、実はそういう「民意」にうまく取り入っているだけなのではないかと見えてならないが、これについては確言する準備がない)。

果たして私たちはこの日本のために戦うことができるのか。危機に当たって他国と闘う気迫も、伝染病の脅威に一丸となって抗す気概も、価値観という点では違うところはないはずだ。それは単に好戦的というのと別次元の問題である。
この点を問うた次の質問に対し、私たち日本人はどう答え、それは世界的に見てどのような位置にあるのだろうか。

Of course, we all hope that there will not be another war, but if it were to come to that, would you be willing to fight for your country?
もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んで国のために戦いますか。(1つだけ〇印)


(この連載では、英語の質問文はWVSAサイトから、日本語の質問文は電通総研『世界主要国価値観データブック』から引用している。)




このように、日本人で「はい」と答えた人の割合は、世界60か国・地域中で最下位にある。しかも下位2位のハイチを除けば、格段の低さといってよい。

後述するように「非宗教化・世俗化」という点で日本と並んで世界トップを争うスウェーデン及び中国が、この項目では日本と逆にむしろ上位に位置していることに注意したい。
しかも韓国が中位にあるところから見ても、これは先のイングルハート―ウェルゼル図での文化圏(儒教圏)による傾向とは明らかに違うものである。
同じ敗戦国・ドイツも相当に下位にあるが、それでも「はい」の割合は4割を上回る。

日本人の回答でもう一つ顕著なのは、「わからない(Don’t know)」との答えだ。その割合は逆に世界首位にあり、実に5割近くにも及ぶ。
この回答のあいまいさは、これから見ていく各項目でも見られる日本人の顕著な特徴である。これが価値観の空白状態を表わしていると見られることは後で解説する。

いずれにせよ、この日本人の回答は世界的に見てきわめて特異なものとしか言いようがない。私たちは世界の中でもまれな(南の島ハイチを除けば)「国のために戦う」気を持ち合わせていない国民集団なのである。

これを「日本人の平和主義の表れだ」とするおめでたい解説をよく見かけるが、WVSの示すところによれば、実態はそうではない。
次の図は「公正のためある条件下では戦争は必要か」との趣旨の調査項目への回答を示している。



日本人は「はい」と答えた人の割合が下位11位と低位にあり、たしかに一見、比較的平和主義のようにも見える。
しかし一方で、はっきり「いいえ」と答える人の割合はむしろ平均程度にすぎない。そして、ここでも、「わからない」とあいまいに答える人が世界一多く、2割を超えていることが注目される。

つまり、「国のために戦えない」理由を平和主義だけに見るのは明らかに失当である。ここには別の要因のほうがむしろ色濃いことが見て取れる。
それはおそらく、ナショナル・アイデンティティ、社会心理的な求心力、言い換えれば「愛国心」の欠如ということである。
それが数値的な国際比較として、初めてはっきり目に見える形で理解できるのだ。

後の調査結果でも同様の傾向がつづくので、さらに見ていきたい。


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