先日は長崎原爆の日だったのですが、そのことに関し日曜の10チャンネルで鳥越俊太郎氏がメインのドキュメンタリーが放映されました。
皆さんごらんになったでしょうか?
疑惑の核心に切り込もうという意気のあるすぐれた番組で、同時にとても恐ろしい内容でした。
じつは途中から見たのですが、しかしそのことはよくわかった気がします。
忘れないうちに書いておこうと思います。
被爆したマリア像でご存知の方は多いと思いますが、長崎原爆の爆心地すぐ近くには、長崎のキリスト教信仰のシンボル・浦上天主堂があり、その赤煉瓦の立派な建物は、街を焼き尽くし破壊し尽くした荒野のただなかに孤立した残骸となり、戦後しばらく被爆のシンボルとして佇み続けていたとのことです。
現地には以前に行ったことがあるのですが、いまでは赤煉瓦の立派な天主堂としてきれいに再建されており、周辺は閑静な住宅街で当時の面影は全くありません。
ただ天主堂から少し離れた所に爆風で吹き飛ばされた尖塔がさかさまに突き刺さっていて、爆風の威力のすさまじさを現在に伝えていました。
当地を訪れて意外に感じたことは、広島は市街の中心に原爆を落とされたにもかかわらず、長崎では市の中心を遠く離れた、現在でも郊外といえる地区が爆心地になっていたということでした。
ともかく静かな地であったことが印象的でした。
さて、1958年ごろの話ですが、当時の長崎市長はいったん天主堂の残骸の保存を決意していたにもかかわらず、米セントルイス市との当時としては例のなかった姉妹都市提携にかかわる訪米を境に「変心」し、その除去を決定してしまいます。
(セントルイス市が米国においてキリスト教信仰がとりわけ色濃い都市であることが、以下の疑惑への皮肉ともいえる符合を思わせます。)
保存されていれば、間違いなく広島の原爆ドームに並ぶ、原爆の悲惨さを世界に訴えるモニュメントになったであろう、この天主堂の謎多き消滅の背後に、米国の情報戦略上のはっきりした意図があったであろうという真相に、番組は迫ろうとします。
詳細は省きますが、市長の「変心」の背後にあったと強く推測される姉妹都市提携には、米国の資料にも正体が明らかでない謎の米国人が主導的にかかわっており、彼らは当時のアイゼンハワー大統領の意向を受けて動いていた可能性が高いそうです(残念ながらそこがちょっとはっきりしなかったと思います)。
ところではじめて知って驚いたことなのですが、番組では長崎に原爆を投下したB29の副操縦士のインタビューがあり、そこで彼は、第一目標の小倉市だけでなく第二目標の長崎市上空もまた雲で覆われていたにもかかわらず、燃料が残り少ないために目視で爆撃せよとの命令を無視して、不正確なレーダー爆撃を強行したと証言していました。
爆撃直前に雲間に一瞬都市が見えた、としていますが、しかしいずれにせよ史上二度目の原爆投下は、その使用を焦ったきわめて性急な行動だったと見て間違いないと思われます。
そのため爆撃目標だった市街中心地から北に3.3キロも離れた浦上地区が爆心地となってしまいました。
現地を訪れていたにもかかわらずよく知らなかったのですが、キリスト教信者の方が多い長崎でも、浦上地区はとくに歴史的に信仰の強い地で、その象徴として信者が長い年月をかけて建てたのが浦上天主堂であったそうです。
そもそも原爆投下に携わった人間は、長崎がそのような地であることを認識していなかったのですが。
米国は今でもキリスト教信仰がひじょうに根強い国であると言われますが、その米国がいわば戦争の仕上げとして、「異教徒のちっぽけな黄色い異人種」である日本人をもっとたくさん殺そうとターゲットに選んだその最後の地が、皮肉にも――と言うと起こった犠牲に対してあまりにも軽い言葉ですが、ともかく事実として、日本でもっともキリスト教信仰の濃い地であったということになります。
(以下つづく)
皆さんごらんになったでしょうか?
疑惑の核心に切り込もうという意気のあるすぐれた番組で、同時にとても恐ろしい内容でした。
じつは途中から見たのですが、しかしそのことはよくわかった気がします。
忘れないうちに書いておこうと思います。
被爆したマリア像でご存知の方は多いと思いますが、長崎原爆の爆心地すぐ近くには、長崎のキリスト教信仰のシンボル・浦上天主堂があり、その赤煉瓦の立派な建物は、街を焼き尽くし破壊し尽くした荒野のただなかに孤立した残骸となり、戦後しばらく被爆のシンボルとして佇み続けていたとのことです。
現地には以前に行ったことがあるのですが、いまでは赤煉瓦の立派な天主堂としてきれいに再建されており、周辺は閑静な住宅街で当時の面影は全くありません。
ただ天主堂から少し離れた所に爆風で吹き飛ばされた尖塔がさかさまに突き刺さっていて、爆風の威力のすさまじさを現在に伝えていました。
当地を訪れて意外に感じたことは、広島は市街の中心に原爆を落とされたにもかかわらず、長崎では市の中心を遠く離れた、現在でも郊外といえる地区が爆心地になっていたということでした。
ともかく静かな地であったことが印象的でした。
さて、1958年ごろの話ですが、当時の長崎市長はいったん天主堂の残骸の保存を決意していたにもかかわらず、米セントルイス市との当時としては例のなかった姉妹都市提携にかかわる訪米を境に「変心」し、その除去を決定してしまいます。
(セントルイス市が米国においてキリスト教信仰がとりわけ色濃い都市であることが、以下の疑惑への皮肉ともいえる符合を思わせます。)
保存されていれば、間違いなく広島の原爆ドームに並ぶ、原爆の悲惨さを世界に訴えるモニュメントになったであろう、この天主堂の謎多き消滅の背後に、米国の情報戦略上のはっきりした意図があったであろうという真相に、番組は迫ろうとします。
詳細は省きますが、市長の「変心」の背後にあったと強く推測される姉妹都市提携には、米国の資料にも正体が明らかでない謎の米国人が主導的にかかわっており、彼らは当時のアイゼンハワー大統領の意向を受けて動いていた可能性が高いそうです(残念ながらそこがちょっとはっきりしなかったと思います)。
ところではじめて知って驚いたことなのですが、番組では長崎に原爆を投下したB29の副操縦士のインタビューがあり、そこで彼は、第一目標の小倉市だけでなく第二目標の長崎市上空もまた雲で覆われていたにもかかわらず、燃料が残り少ないために目視で爆撃せよとの命令を無視して、不正確なレーダー爆撃を強行したと証言していました。
爆撃直前に雲間に一瞬都市が見えた、としていますが、しかしいずれにせよ史上二度目の原爆投下は、その使用を焦ったきわめて性急な行動だったと見て間違いないと思われます。
そのため爆撃目標だった市街中心地から北に3.3キロも離れた浦上地区が爆心地となってしまいました。
現地を訪れていたにもかかわらずよく知らなかったのですが、キリスト教信者の方が多い長崎でも、浦上地区はとくに歴史的に信仰の強い地で、その象徴として信者が長い年月をかけて建てたのが浦上天主堂であったそうです。
そもそも原爆投下に携わった人間は、長崎がそのような地であることを認識していなかったのですが。
米国は今でもキリスト教信仰がひじょうに根強い国であると言われますが、その米国がいわば戦争の仕上げとして、「異教徒のちっぽけな黄色い異人種」である日本人をもっとたくさん殺そうとターゲットに選んだその最後の地が、皮肉にも――と言うと起こった犠牲に対してあまりにも軽い言葉ですが、ともかく事実として、日本でもっともキリスト教信仰の濃い地であったということになります。
(以下つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます