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書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 10

2017-09-01 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)

 一方で「それは、少なくとも平常年にあてはまることであって、凶作によって供給量が減少すればただちに問題が生じる危険水域」だった。さらに栄養バランスにも地域によって極端な偏りが見られるなど、農業社会としての限界をも指摘する。先に見た人口増加率の顕著な地域差からすれば、栄養状態に同様の傾向があっただろうことは想像に難くない。しかしそうだとしても、全体に関する基本的事実を認識することがまず重要である。渡辺京二氏によれば、幕末・明治初期に来日した外国人の目には、幕藩体制下の民衆が総じて「最も基本的な衣食住の点で充足」して見えたという。これらの指標によれば、実際に多くの地域でそうした観察がなされたとしても不思議ではない。
 農村における生活水準の上昇は、余暇の増加をもたらし、また民間にかつてない規模の大衆文化が興って、伊勢参りをはじめ庶民の遠方への旅も一般化した。特に寺子屋等の江戸後期における爆発的ともいえる増加によって、明治初年には庶民の男子児童の就学率がすでに五割近くにも及んでいたとの推計は、実に目覚ましいものがある。本書が描き出すこうした「豊かな成熟社会」=江戸システムの姿は、これまで紹介してきたような基礎的な数々の指標の裏付けによって、動かしがたい説得力を持っているのである。

江戸文明の成熟

 本書は結論的に「かくして経済社会化された農業社会、それが江戸システムの基本的な性格であった」と一言で要約し、特に江戸中期以降について、経済社会化が高度に到達し、前近代社会としては西欧にも比肩する高い生活水準を維持しつつ、一方で生態学的均衡をも実現した、「持続可能な豊かな成熟社会」であったと、高く評価する。

 十八世紀の日本は、こうして生態学的な均衡を達成していたと見ることができる。
 …十八世紀に日本列島の人口が停滞したのは偶然ではない。確かに気候寒冷化が凶作を引き起こし、飢饉を頻発させた。他方で、晩婚と出生抑制が人口増加率を低く抑えることによって、土地と人口の均衡がもたらされ、長期的に見れば生活水準の上昇を可能にしたと考えてよい。
 …寿命・余暇・教育などの面で生活の質を考慮するならば、前工業化期の西ヨーロッパと同等、もしくはある場合には、それ以上の水準に達していたと言ってよいのである。(三〇八頁)

 しかし江戸時代は、「歴史の法則性とそれに基づく時代区分論」を枠組みとした「戦後第一期の史観」「いわゆる実証史学」によって、これまで長く否定・克服すべき対象として捉えられてきた。価値判断抜きにそう短く触れた上で、現在の「戦後第二期の史観」では「数量的なデータの変化と相互の関連を重視する数量経済史、歴史人口学、比較制度史、国際関係史など多面的なアプローチ」を用いることで、「江戸時代は今や、独自の高度な文明社会であったという認識が確立している」状況にあることを紹介する。本書もまた、そうした現在主流の学術的な史観に基づいて、江戸文明の社会システム的側面を説き明かしているのである。

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