南予地方では闘牛が盛んで、現在でも宇和島、南宇和で闘牛大会が定期的に開催されている。昭和初期以前は、宇和町、野村町、城川町、吉田町を北限として、それより南の地域で「牛のツキアイ」といって村内の娯楽として闘牛を行っていた。この牛のツキアイの分布がなぜ西宇和郡や大洲、喜多地方にまで及ぶことがないのか、その点は今後考察の対象となるだろう。大正時代初期生まれの古老に聞き取りをすると、東宇和以南の方からはツキアイの話がすぐに出てくるが、西宇和、大洲の古老に聞いてみると、ツキアイ?闘牛?そんなものはないよ。の一言で終わってしまう。ところが、大正時代の新聞記事を見ていると、大洲で闘牛大会が開催されていた記事を見つけた。『海南新聞』大正3年10月4日付、喜多郡大洲の大祭の2日目に闘牛大会があったというのだ。大洲には闘牛は無かったと固定観念を持っていたため、この記事には少し驚かされた。ただし、その闘牛大会の中身がよくわからない。東宇和以南から牛を呼んで開催したのか、大洲にも実はツキアイ牛がいて、その大会だったのか、その辺は不明である。今後、調査をしてみたいと思っている。
2000年08月26日
2000年08月26日