9月30日に訪れた流鏑馬資料館は、大町市の塩の道博物館に隣接するものであった。この塩の道博物館では、新潟県糸魚川から長野県大町にかけての千国街道、別名塩の道に関する展示をしていた。展示物で眼をひかれたのは、裂織りの炬燵布団であった。2年前に千葉県佐倉市の歴博で行われた企画展「布のちから・布のわざ」にて、展示されていたのを見たことがあり、裂織り炬燵布団を見るのは二度目だが、なかなかの感動ものである。愛媛では裂織りは仕事着、帯以外には使用されている例を見たことがなく、炬燵布団のように大量の布を利用したものを見ると、手仕事の素晴らしさを実感してしまう。裂織りは日本海側に多く見られるが、この大町も千国街道を経由して日本海側から裂織り文化が流入しているのであろう。かつては、塩の道は塩だけではなく、大量の物資も運搬されていたはずで、北前船によって大量の木綿布が糸魚川にもたらされ、千国街道を通って運搬されたはずである。
塩も当然、北前船によって運ばれていた。博物館で写真展示してあった資料によると、寛政4(1792)年に大町の人が糸魚川で買い入れた竹原塩(広島県竹原市のことであろう)を運ぶために、番所を通過させてほしいとの願書が残っているらしい。瀬戸内の塩が日本海を経由して長野にまで流通していたことも興味深く感じた。
2000年10月07日