愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

喜多浦八幡神社の芝居小屋

2000年10月08日 | 祭りと芸能

越智郡伯方町北浦にある喜多浦八幡神社の境内に芝居小屋が残っており、現在でも使用されている。この建物は嘉永3(1850)年に建造されたといわれるもので、老朽化したため、近年一部修復されたが、梁、桁をはじめとする構造は建造当時のままである。正面左側には花道も付き、舞台奥には楽屋空間もある。舞台幅は約9メートルである。この芝居小屋は「春市」と呼ばれる毎年第4土日曜日に行われる神社の例大祭の際に、芝居を招いて、現在でも上演している。ここ40年程は広島市安佐北区の新国座を招いているとのこと。土曜日の午後7時から、日曜日の午後1時から始まることになっている。明治時代中期以前は、地元の者も芝居をしていたのだが、それ以降はいわゆる「買芝居」になっている。村人が演じていた時でも盛況だったようで、地元の若者が扮する女形に惑わされた他地区の若者が、その役者が男とわかるまで後につきまたったという話まで残されている。また、かつては例大祭の日が旧暦3月20日であり、芝居奉納も20~22日にかけて行っていた。旧暦3月21日といえば、お大師参りの時期であるが、伯方島島四国の巡拝者も拝順を変更して、芝居を見物していたという。
なお、伯方町では木浦にも地芝居があったようで、この芝居は他の島にも出向いて興行するほどだったらしい。また、有津の奥坂神社の境内にも大正時代初期まで芝居小屋があったという。現在、地芝居の芝居小屋が残っている例は、県内では川之江市の大西神社、魚島村の亀居八幡神社のものがある。上浮穴地方にも探せばありそうだが、私はいまだ把握していない。
喜多浦八幡神社の芝居は、これまで一度も上演しなかった年はなく、戦時中も中断せずに行った。これは大正時代に一度、芝居ではなく別の出し物を上演した年があったのだが、その際、流行病や悪いことがおこり、それからは必ず芝居を上演(奉納)するようになったらしい。芝居小屋は神社境内にあるが、芝居上演の意味は、例大祭の時に、普段ご加護をいただいている神さまを慰めるという。まさに神賑わいの行事である。村人も楽しむが、神さまに楽しんでもらうために芝居を奉納する。祭りの中でこの形態がとれたことこそ、芝居が現在まで継続できたといえるだろう。地芝居は、民俗行事とリンクしなければ、戦中から現在まで継続するのは困難である。一時的に地元のパトロンが金を寄付して芝居興行が成立しても、それだけでは長くは続かない。この喜多浦八幡神社の例は、地芝居が戦後各地で消滅した要因を考える上で極めて示唆的である。

喜多浦八幡神社には、弓祈祷(2月11日)、八幡船・石船(和船の雛形模型:文政13年奉納)、狛犬(町誌では鎌倉時代のものと説明されているが・・・。)など、興味深い民俗資料が数多く伝えられている。また、社叢のアコウ樹も何とも言えない雰囲気で心を落ち着かせてくれる。先日、私は唐突にお邪魔したにもかかわらず、宮司の馬越さんには懇切に説明をいただきました。ありがとうございました。

2000年10月08日