「西條花見車」という『雨夜の伽草』(伊予史談会蔵)に収められた史料に、天保八(一八三七)年の西条祭りのダンジリ(ここでは「楽車」と表記している)について詳細な記述がある。
「この楽車といふは、家の形造りにして、二重あるいは、三重の高欄付きにて、黒塗りの金縁、朱塗りの銀縁等にて、高欄の疑宝珠は金銀を以てし、高欄の縁には、七福神の遊びあるいは大江山鬼神退治、富士野牧狩、鵯越逆落し、八嶋合戦、または牡丹に獅子、竹に虎等、巧を尽くして彫透し、術を究めて彩れり。家根はみな縮緬にて覆ひ、破風口には孔雀、鳳凰、鶴等を彫り付け金銀にてだみたり。幕は金襴緞子、天鵞絨、羅紗、猩々緋などに金砂、銀糸などにて竹に虎、雲に竜、または竜宮の玉取、浦島子竜宮入、和藤内千里の竹藪等、さまざまの高縫に金銀珠玉を鏤座り。その内にさまざまの造り物を飾る。」
このように、彫刻の透かし彫りの技法が発達し、江戸時代後期には既に彫刻を以て見せ、そして、幕などにも当時の高価な物を用いて見せるダンジリであったことがわかる。しかし、「さまざまな造り物を飾る」の記述とは異なり、現在のダンジリには、四本柱に巻かれた幕の内側に造り物を据えることはない。この点が現在とは大きく異なっている点といえよう。
この記述はこれまで謎とされてきた。しかし、最近、この謎が解けたのであろる。それは昨年10月に愛媛新聞紙上でも公表された「伊曽乃祭礼細見図」の発見によってである。
もともと、この西条ダンジリが描かれた絵巻については、伊曽乃神社が保管している絵巻「伊曽乃大社祭礼略図」が知られており、内容はダンジリ十八台、神輿太鼓五台、船ダンジリ、鬼頭、鉄砲組、奴、神輿、諸道具類などを描いた「御神輿の渡御行列図」、西条藩士の礼拝する様子を描いた「御殿前略景」、御旅所の賑わいを描いた「御旅所略景」、「小供狂言之図」からなっている。筆者は不詳であるが、この絵巻は、昔、江戸城内で仙台の藩主(伊達氏)とお国の祭自慢をしたことを契機に、西条藩主が伊曽乃神社祭礼を絵巻に描かせて仙台に贈ったものとされ、その後、伊達家に保存されていたが、昭和二五年に伊曽乃神社に寄贈されている。制作年代は佐藤秀之氏によると、一八五〇年前後とされている。
今回発見された絵巻は、近年確認された東京国立博物館蔵「伊曽乃祭礼細見図」である。この絵巻は、国立歴史民俗博物館の福原敏男氏が確認し、二〇〇〇年夏にはじめて地元西条に紹介したものである。それを受けて、早速、西条祭りの研究者佐藤秀之氏が「『伊曽乃祭礼細見図』について」というレポート(自家版)をまとめており、ここでは、その内容を一部引用しておきたい。
「伊曽乃祭礼細見図の内容
・神社本(「伊曽乃大社祭礼略図」)より古かったこと。
・造り物、人形屋台であったこと。
・ふすまだんじりが数台あったこと。
・二階、三階の別があり、高欄や升組形式など細かく分けられていること。
・何より、彫刻、装飾の題材が(神社本に比べて)はっきりと細かく描き分けられていること。」
以上の事などが指摘されており、この絵巻の制作年代を天保七(一八三六)年前後と推定されている。注目しておきたいのは、「西条花見車」に記述されていた幕の内側に「さまざまな造り物を飾る」ことである。この絵巻では、この造り物が詳細に描かれており、「西条花見車」の記述を裏付けている。天保年間以前には、西条型ダンジリは、人形屋台としての要素もあっていたのである。この点は、南予地方の山車とも共通するところがあり、今後この絵巻の調査報告が待たれるところである。
2001年03月12日
「この楽車といふは、家の形造りにして、二重あるいは、三重の高欄付きにて、黒塗りの金縁、朱塗りの銀縁等にて、高欄の疑宝珠は金銀を以てし、高欄の縁には、七福神の遊びあるいは大江山鬼神退治、富士野牧狩、鵯越逆落し、八嶋合戦、または牡丹に獅子、竹に虎等、巧を尽くして彫透し、術を究めて彩れり。家根はみな縮緬にて覆ひ、破風口には孔雀、鳳凰、鶴等を彫り付け金銀にてだみたり。幕は金襴緞子、天鵞絨、羅紗、猩々緋などに金砂、銀糸などにて竹に虎、雲に竜、または竜宮の玉取、浦島子竜宮入、和藤内千里の竹藪等、さまざまの高縫に金銀珠玉を鏤座り。その内にさまざまの造り物を飾る。」
このように、彫刻の透かし彫りの技法が発達し、江戸時代後期には既に彫刻を以て見せ、そして、幕などにも当時の高価な物を用いて見せるダンジリであったことがわかる。しかし、「さまざまな造り物を飾る」の記述とは異なり、現在のダンジリには、四本柱に巻かれた幕の内側に造り物を据えることはない。この点が現在とは大きく異なっている点といえよう。
この記述はこれまで謎とされてきた。しかし、最近、この謎が解けたのであろる。それは昨年10月に愛媛新聞紙上でも公表された「伊曽乃祭礼細見図」の発見によってである。
もともと、この西条ダンジリが描かれた絵巻については、伊曽乃神社が保管している絵巻「伊曽乃大社祭礼略図」が知られており、内容はダンジリ十八台、神輿太鼓五台、船ダンジリ、鬼頭、鉄砲組、奴、神輿、諸道具類などを描いた「御神輿の渡御行列図」、西条藩士の礼拝する様子を描いた「御殿前略景」、御旅所の賑わいを描いた「御旅所略景」、「小供狂言之図」からなっている。筆者は不詳であるが、この絵巻は、昔、江戸城内で仙台の藩主(伊達氏)とお国の祭自慢をしたことを契機に、西条藩主が伊曽乃神社祭礼を絵巻に描かせて仙台に贈ったものとされ、その後、伊達家に保存されていたが、昭和二五年に伊曽乃神社に寄贈されている。制作年代は佐藤秀之氏によると、一八五〇年前後とされている。
今回発見された絵巻は、近年確認された東京国立博物館蔵「伊曽乃祭礼細見図」である。この絵巻は、国立歴史民俗博物館の福原敏男氏が確認し、二〇〇〇年夏にはじめて地元西条に紹介したものである。それを受けて、早速、西条祭りの研究者佐藤秀之氏が「『伊曽乃祭礼細見図』について」というレポート(自家版)をまとめており、ここでは、その内容を一部引用しておきたい。
「伊曽乃祭礼細見図の内容
・神社本(「伊曽乃大社祭礼略図」)より古かったこと。
・造り物、人形屋台であったこと。
・ふすまだんじりが数台あったこと。
・二階、三階の別があり、高欄や升組形式など細かく分けられていること。
・何より、彫刻、装飾の題材が(神社本に比べて)はっきりと細かく描き分けられていること。」
以上の事などが指摘されており、この絵巻の制作年代を天保七(一八三六)年前後と推定されている。注目しておきたいのは、「西条花見車」に記述されていた幕の内側に「さまざまな造り物を飾る」ことである。この絵巻では、この造り物が詳細に描かれており、「西条花見車」の記述を裏付けている。天保年間以前には、西条型ダンジリは、人形屋台としての要素もあっていたのである。この点は、南予地方の山車とも共通するところがあり、今後この絵巻の調査報告が待たれるところである。
2001年03月12日