彼岸と社日
春分、秋分を中日として、それぞれ前後の三日ずつをあわせた七日間を彼岸という。彼岸はもともとは仏典に出てくる「波羅蜜多」の訳語で、「到彼岸」と書き、涅槃の世界に到達する、つまり悟りの境地に達することを意味している。この彼岸の期間には、寺院において法会が行われることが多いが、これは日本独自のものであって、中国やインドには見られない行事である。彼岸に関する民俗としては、この期間に墓参をするというのが一般的である。彼岸に入ると家族揃って先祖の墓参りをし、墓地の清掃をしてシキミなどの「花」を生け替える。そして茶碗に水をそそぎ、米を供え、線香をあげて供養をするのである。
また、彼岸の頃には農事との関わりの深い行事も行われる。例えば、伊方町九町では、彼岸の吉日を選び、農作物を守るために、うさぎ狩りやいのしし狩りを行っていたという。瀬戸町塩成でも行われていて、これを山狩りと言っていた。また、九町では、地区の者が大勢で農道の整備をする「道つくり」も彼岸の行事であった。彼岸は、季節の変わり目であり、農事上での目安になっていたのである。
ただし、農事上の目安は彼岸ではなく、「オシャンニチ」であったとする地区も多い。「オシャンニチ」は「お社日」のことで、暦の上では、年に二回あり、春分、秋分にもっとも近い戊(つちのえ)の日のことである。たいていは、社日は彼岸の七日の間に来るので、彼岸と社日の習俗が混交したのであろう。社日に関する習俗の事例を挙げてみると、八幡浜市穴井では、オシャンニチに「虫祈祷」が行われる。地区の者が寺に集まり、念仏を繰り返し唱え、札を貰い、これを竹に挟んで畑に立てるのである。そうすると、虫害を被らず、豊作になるという。また、瀬戸町大江では、この日は土を休める日なので田畑の仕事をせずに休み、土地に鍬を立てることを忌むという。
愛媛県内の社日に関する民俗の特徴として、春の社日に山から「山の神」が里に降りて来て「田の神」(農神)となり、「田の神」は秋の社日に再び山へと帰っていくという農神去来の信仰が強く残っていることが指摘されている(『愛媛県史民俗編下』)。松山平野や南、北宇和郡に色濃く残る神観念であるが、八幡浜地方にもこれに類する民俗が存在する。例えば、かつて八幡浜市若山や大島では、オシャンニチに、野菜などを三宝に載せて、座敷に供える風習があった。これは家の神や恵比寿、大黒に供えるといい、農神(田の神)を迎えるための行事であると地元では認識されているわけではないが、もともとは農神を山から里(家)へ迎え入れる儀礼の一種と見ることができる。
このように、社日は単なる季節の変わり目ではなく、農作業を始める上で、それを見守る神を招き入れる日だったのである。
2001/03/22 南海日日新聞掲載
春分、秋分を中日として、それぞれ前後の三日ずつをあわせた七日間を彼岸という。彼岸はもともとは仏典に出てくる「波羅蜜多」の訳語で、「到彼岸」と書き、涅槃の世界に到達する、つまり悟りの境地に達することを意味している。この彼岸の期間には、寺院において法会が行われることが多いが、これは日本独自のものであって、中国やインドには見られない行事である。彼岸に関する民俗としては、この期間に墓参をするというのが一般的である。彼岸に入ると家族揃って先祖の墓参りをし、墓地の清掃をしてシキミなどの「花」を生け替える。そして茶碗に水をそそぎ、米を供え、線香をあげて供養をするのである。
また、彼岸の頃には農事との関わりの深い行事も行われる。例えば、伊方町九町では、彼岸の吉日を選び、農作物を守るために、うさぎ狩りやいのしし狩りを行っていたという。瀬戸町塩成でも行われていて、これを山狩りと言っていた。また、九町では、地区の者が大勢で農道の整備をする「道つくり」も彼岸の行事であった。彼岸は、季節の変わり目であり、農事上での目安になっていたのである。
ただし、農事上の目安は彼岸ではなく、「オシャンニチ」であったとする地区も多い。「オシャンニチ」は「お社日」のことで、暦の上では、年に二回あり、春分、秋分にもっとも近い戊(つちのえ)の日のことである。たいていは、社日は彼岸の七日の間に来るので、彼岸と社日の習俗が混交したのであろう。社日に関する習俗の事例を挙げてみると、八幡浜市穴井では、オシャンニチに「虫祈祷」が行われる。地区の者が寺に集まり、念仏を繰り返し唱え、札を貰い、これを竹に挟んで畑に立てるのである。そうすると、虫害を被らず、豊作になるという。また、瀬戸町大江では、この日は土を休める日なので田畑の仕事をせずに休み、土地に鍬を立てることを忌むという。
愛媛県内の社日に関する民俗の特徴として、春の社日に山から「山の神」が里に降りて来て「田の神」(農神)となり、「田の神」は秋の社日に再び山へと帰っていくという農神去来の信仰が強く残っていることが指摘されている(『愛媛県史民俗編下』)。松山平野や南、北宇和郡に色濃く残る神観念であるが、八幡浜地方にもこれに類する民俗が存在する。例えば、かつて八幡浜市若山や大島では、オシャンニチに、野菜などを三宝に載せて、座敷に供える風習があった。これは家の神や恵比寿、大黒に供えるといい、農神(田の神)を迎えるための行事であると地元では認識されているわけではないが、もともとは農神を山から里(家)へ迎え入れる儀礼の一種と見ることができる。
このように、社日は単なる季節の変わり目ではなく、農作業を始める上で、それを見守る神を招き入れる日だったのである。
2001/03/22 南海日日新聞掲載