愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

西広門田�

2010年11月21日 | 口頭伝承
今、道後行きの高速バスの中。今日もひめぎんホールでの高文祭に参加します。

さて、先週、山梨県に行った際の難読地名「西広門田」。これが何故「かわだ」と読むのか、『角川日本地名大辞典 山梨県』と平凡社の『山梨県の地名』を図書館で確認してみた。角川には「古くは川田・河田・広門田と書き、広は訓でカハラ、門田は和歌などでタと詠んだことから『かわだ』となったといわれる」。平凡社には「かつて当地には東西の広門田があって重川の水害により東村が流出、西村のみが残って現地名の西広門田となったとの説がある」と紹介されている。また、天正10(1582)年徳川家印判状写には「河田」、翌11年の徳川家康印判状写では「広門田」とあり、慶長7(1602)年の休息山立正寺門徒連判状には「川田」、慶長古高帳には「西河田」、延宝8(1680)年「牛奥山手目録」には「広門田」と出てくる(平凡社より)。

少なくとも16世紀後半には「かわだ」を「広門田」と表記しており、東村と対比させるために「西」を加えて「西広門田」となったようである。