愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害③

2023年11月08日 | 災害の歴史・伝承
2 周期的に発生する南海地ラフ地震―繰り返される被害―
 南海トラフを震源とする地震は、およそ100年から150年の間隔で発生している。直近では紀伊半島南西沖を震源とする昭和南海地震が昭和21(1946)年12月21日午前4時19分に発生し、その2年前の昭和19年12月7日に紀伊半島南東沖を震源とする東南海地震が発生し、双方の連動地震では全国で計2500名以上が犠牲となっている。
 その前の南海トラフ地震は、昭和南海地震の約90年前、嘉永7(1854)年11月4日に東海、東南海地震が発生し、その32時間後の11月5日に南海地震が起きて、関東から九州までの広い範囲で大きな被害が出ている。地震の規模は昭和南海地震がM8.0、安政南海地震はM8.4と推定され、安政の方が地震規模は大きく、揺れ、津波被害も昭和より甚大であった。
 その安政よりも被害が甚大だったのがその約150年前、宝永4(1707)年10月4日の宝永地震である。東海、東南海、南海地震の3連動で発生し、地震規模はM8.6と推定され、『楽只堂年録』を見ると死者数は5,000名余りであったと記録されている。そして宝永の約100年前には慶長9(1605)年12月16日に慶長地震が発生している。この地震では津波被害が甚大で、房総半島から紀伊半島、四国にその記録が残っている。その前は慶長の約100年前、明応7(1498)年に明応地震が発生し、さらに137年前の正平16(1361)年6月24日に正平南海地震が起こり、『太平記』によると「雪湊」(徳島県由岐)では大津波によって1700軒の家々が被害を受けたとされている。その前となると正平の263年前という長い空白期間となるが、承徳3(1099)年正月24日に発生している。この年は地震と疫病が頻発したので元号が「承徳」から「康和」に改元され、「康和地震」と称されている。土佐国(高知県)で千余町が海底となった、つまり地盤の沈降による海水流入が大規模に見られ、歴代南海地震でも同様の被害が見られる。その康和の212年前の仁和3(887)年7月30日には仁和地震が起こり、近畿地方を中心に大きな被害が出ている。その仁和の203年前に発生した南海トラフ地震が、『日本書紀』に記された天武天皇13(684)年10月14日の白鳳地震である。このように、文献史料からひも解くだけでも、古代から現代まで南海トラフを震源とする大地震がおよそ100年から150年の周期で起こっていることがわかる。