祭り初日の土曜日午後一時頃になると、柱松川原において、川落としが行われる。これは厄年、青年連中、地区の役員らが松を引いてきた綱を用いてお互いを川に落としあうというものである。余興的要素が強く、地区中から観客も集まり、初日の昼間では最も賑やかな行事である。男達は半狂乱状態で川に突き落としあい、それを観客が見守るのである。
この川落としが終わり、浜へ松を曳いていく。その途中に国道三七八号線があるが、この道を約二十分ほど松で遮断し、市バスなども足止めし、かなりの交通渋滞を引き起こす。川落としといい、道路遮断といい、祭りの盛り上がりでこの時、川名津は日常秩序の通用しない非日常的空間と化するのである。
その後、浜に松を降ろして、松を海に浸ける。これは潮垢離やみそぎの意味があるのであろう。そして、松は陸上げされ、天満神社境内前に運ばれる。
神社前に松が到着すると、松に稲藁を巻いて装飾する。そして、松の頂上にはショウジョウサマと呼ばれる藁人形が取り付けられる。
松の装飾が終わり、夕方五時頃になると、松おこしが行われる。四方から綱を引きながら二十メートル以上ある松を立てるのである。そして、立てられた松の脇には神楽が舞われる「ハナヤ」という建物が建てられ、さらに脇には「サンポウコウジン」という笹竹が設けられる。これは一種のオハケ(神の依り代)である。
夕方六時からは、ハナヤで地元の神楽団により、川名津神楽が奉納される。同時に、ハナヤの前では、五つ鹿踊りや唐獅子も奉納される。 神楽は夜中の十二時頃まで行われるが、その神楽の最後の演目に鎮火の舞があり、松明に火を燃やし、その後、クライマックスである御柱松登りが行われるのである。この行事をもって、初日は終了する。
翌日の日曜日は、朝から神輿が出され、牛鬼、五つ鹿踊り、唐獅子とともに地区内の家々をまわり、午後五時頃、祭りの最後として柱の立った神社前で踊りが奉納される。そして、青年連中の担いだ牛鬼と、厄年の男の担いだ榊台という神輿の先導役が鉢合わせをし、その間に神輿が宮入りする。この鉢合わせは、八幡浜市内の祭りでは最も勇壮なものである。そして、松が倒されて二日間の祭りが終了するのである。
川名津柱松は、一般には松登りのみが注目されているが、それ以外にも二日間にわたり賑やかで様々な行事が行われる。市内では比類を見ない規模の祭りであり、この祭り全体を一度注目してみてはどうだろうか。
2000年04月20日 南海日日新聞掲載