飯之山は穴井側が攻口、垣生側が落口であった。長宗我部軍は天正12年頃、この堅城をどうしても落とすことができず困っていた。その時、垣生の里人に会い「城へ草履を上げたいがどれだけ必要か」と聞き、300足が必要だと里人が答えた。これで兵員の数がわかり、長宗我部軍は作戦を練り、戦闘を開始したという。これは、飯之山城の武士で落人となった某家に伝わる話である。
参考文献:『開校百周年記念誌まあな』(真穴小学校百周年記念事業推進委員会、昭和51年発行)
参考文献:『開校百周年記念誌まあな』(真穴小学校百周年記念事業推進委員会、昭和51年発行)