驚くことを、この辺では「たまげる」という。夏目漱石の『坊ちゃん』では「たまげる」を「魂消る」と表記している。日本国語大辞典によると、「げる」は「消える」の変化したものと注記した上で、「肝をつぶす、驚く、びっくりする」等と紹介している。江戸時代の方言の参考になる『物類称呼』によると「物に驚くことを、東国にてたまげると云(略)薩摩にては、たまがると云」とある。この方言は、愛媛だけでなく、全国的なもののようだ。
私は薩摩(九州)の「たまがる」に注目してみたい。私の大分県の友人も「たまがる」を使っているが、実は室町時代の日本語の辞書として有用な『日葡辞書』には「Tamagari」とあり、中世の日本でも「たまがる」を使っていたことがわかる。ただし『日葡辞書』は当時のポルトガル人宣教師が日本語を習得するために編纂されたものであり、長崎をはじめとする九州の言葉が採用された可能性があるから、「たまがる」が古くて、そして「たまげる」へ変化したとは言い切れない。しかし、中世に「たまげる」の用法が見あたらないようで、やはり「たまがる」の方が古いのだろう。
私が気になるのは日本国語大辞典や『坊ちゃん』で記された「魂消る」という説明である。「消える」とするには「たまがる」の「がる」が説明できない。これはもしかして、「魂離る」なのではないだろうか。古語で離れるを意味する「かる」である。
驚いて魂が消えて無くなってしまうというというより、驚いて魂が離れてしまいそうになった。こちらの方が感覚的にも合致するのではないだろうか。つまり、もともとは「魂離る」であったのが、変化して「たまげる」となり、「魂消る」という当字が江戸時代に派生したのだろう。私はそう推測してみたがどうだろうか。
(注記)2/23
「魂離る」についての補説
宮崎県民俗の会の渡辺一弘氏によると、宮崎県でも「たまがる」と同時「たまげる」も使い、過去形が「たまがった」「たまげた」となる。一般的には「ひったまがった」と強調させて頻繁に使うとのこと。渡辺氏の教えていただいたのだが、沖縄では驚いた後にあわてて手のひらで自分に風をあおぎ、飛び出たマブリ(魂)を集めるそうだ。30歳代の人でもついやっており、魂は複数、体の中にあって、そのうちのいくつかが驚いた瞬間に体から逃げてしまうというイメージのようです。
2001年02月22日
私は薩摩(九州)の「たまがる」に注目してみたい。私の大分県の友人も「たまがる」を使っているが、実は室町時代の日本語の辞書として有用な『日葡辞書』には「Tamagari」とあり、中世の日本でも「たまがる」を使っていたことがわかる。ただし『日葡辞書』は当時のポルトガル人宣教師が日本語を習得するために編纂されたものであり、長崎をはじめとする九州の言葉が採用された可能性があるから、「たまがる」が古くて、そして「たまげる」へ変化したとは言い切れない。しかし、中世に「たまげる」の用法が見あたらないようで、やはり「たまがる」の方が古いのだろう。
私が気になるのは日本国語大辞典や『坊ちゃん』で記された「魂消る」という説明である。「消える」とするには「たまがる」の「がる」が説明できない。これはもしかして、「魂離る」なのではないだろうか。古語で離れるを意味する「かる」である。
驚いて魂が消えて無くなってしまうというというより、驚いて魂が離れてしまいそうになった。こちらの方が感覚的にも合致するのではないだろうか。つまり、もともとは「魂離る」であったのが、変化して「たまげる」となり、「魂消る」という当字が江戸時代に派生したのだろう。私はそう推測してみたがどうだろうか。
(注記)2/23
「魂離る」についての補説
宮崎県民俗の会の渡辺一弘氏によると、宮崎県でも「たまがる」と同時「たまげる」も使い、過去形が「たまがった」「たまげた」となる。一般的には「ひったまがった」と強調させて頻繁に使うとのこと。渡辺氏の教えていただいたのだが、沖縄では驚いた後にあわてて手のひらで自分に風をあおぎ、飛び出たマブリ(魂)を集めるそうだ。30歳代の人でもついやっており、魂は複数、体の中にあって、そのうちのいくつかが驚いた瞬間に体から逃げてしまうというイメージのようです。
2001年02月22日